韓国の「教科書に戦犯企業ステッカー」というニュースをネットで目にした。韓国は儒教の国ではなかったか?戦犯企業がたとえ史実であったとしても、過去の過ちをほじくり返して非難するなんて恥ずべき行為だとは思わないのだろうか?と疑問に思った。
さらに思い返してみれば、ここ数年のことかと思うが、慰安婦問題、徴用工問題など国家間で解決した問題をほじくり返し、友好関係に波風を立てる。「慰安婦なんて存在しない」という日本国の右側の言い分もおかしいが、ほじくり返す方も変。戦争したいと思っている人々が両国にいて、その方向へ何か画策しているのかと思ってしまう。
先週火曜日、風は爽やか日差しポッカポカの散歩最適日、普通に考えたらこんな日は海辺の散歩なのだが、車は車検に出し明日の夕方まで帰ってこない、手元に映画の只券が1枚あり、有効期限が3月31日、その日は26日。ということで、私はバスに乗り、片道600円の那覇市牧志で降り、只券の使える桜坂劇場へ行き映画を観た。
観た映画は韓国映画の『共犯者たち』、映画はドキュメンタリーで、その内容は、桜坂劇場のパンフにある映画紹介文の一部をそのまま書き写すと以下。
かつてMBCを不当解雇されたチェ・スンホは、解雇後に非営利の独立メディア「ニュース打破」に加わって調査報道を続ける。そこから生まれたのが、国家による北朝鮮スパイ捏造事件の真相を暴いた『スパイネーション/自白』、言論弾圧の実態を告発した『共犯者たち』だ。前者では調査報道そのものの執念と信念を描き、後者では”調査報道者”としての闘いを描く。韓国のジャーナリズムを骨抜きにした「主犯」と、権力に迎合した放送業界内の「共犯者たち」にカメラを向け、その実態と構造を明らかにしていく。
となっている。映画を観終わっての私の感想は、私の理解力不足なのか、「その実態と構造を明らかにしていく」についてはよく解らず、消化不良は残ったが、「であるか、だから今の韓国は右翼が政治の中枢にいて国の気分を支配していて、日本に対し強硬であるのか」という理解にはなった。「実態と構造」の実態は国家権力によるマスコミ(言論報道)支配であり、構造は国の息のかかった人材がマスコミの経営者となり人事と報道姿勢を牛耳る体制ということであろうと想像する。大丈夫か韓国?と思って、そして、
加計問題をスクープしたNHKの記者が不遇に合っているということを最近聞いたばかり。日本も韓国みたいにマスコミが国家権力に牛耳られつつあるのかと不安に思う。
報道が国家権力に牛耳られると、例えば韓国が「天皇が謝れば済む」と公人が公言しても、「ちょっと待て、それはケンカになるぞ、止めとけ」と止める者がいない。感情的批判が野放しになると、日本国の右翼が怒って「韓国を潰せ」となりかねない。右翼は右翼同士どこか遠くで喧嘩してくれればいいが、その難は平和主義者たちにも及ぶ。
フェイクニュース規制法なんてものが日本国にできたらと考えると怖い。事実であっても「疑わしい」という理由で検挙されるなんてことになったら日本も危ない。言論の自由は平和の根幹、報道の自由は国の暴走を止めるブレーキになるものと思う。そして、国民1人1人が国のやることに関心を持たなければならない。むろん私も含め。自戒です。
記:2019.3.29 島乃ガジ丸