『薬草生活の経過その1』を書いたのは去年(2018年)8月のこと、その後も何らかの形で薬草の類は摂取していたが、今年2月頃からはほとんど怠けていた。1月に薬草研究家のHさんに頼まれていた薬草表を表ではなく冊子に仕上げて差し上げて、「これで薬草は終わり」と思ったわけではない。野山の薬草探しは続けており、本も読んでいた。ただ、摂取するのを怠けていただけ。『薬草生活の経過その1』の最後に「1週間に1種を数回摂るということを続け、5~6種類を5~6週間かけて調べてみる予定」と書いたのだが、それもやっていない。薬草の勉強、怠け者の私にはなかなか難しい。
4月5日、二十四節気の清明に入る。その時からずっと懸案事項であったシーミー(清明祭:沖縄では重要な風習である墓参り)を5月9日にやっと終えた。その日1日で終わったのではなく前日に下見をして、軽く掃除していた。天気予報があまり良くなくて、もしも雨が降ったらお供えものが濡れたりして面倒になる、と思って2日に分けた。
下見して軽く掃除した日のこと、我が家の墓の隣の隣の無縁墓を住いとし、隣の墓を居間とし、我が家の墓を物置場として使っているいつもの自由人がいつものように話しかけてきた。去年はUFOの話で興味のない私には煩かったが、今年は、
「ずいぶん遅かったね、今年は来ないのかと思ったよ。」
「うん、腰の調子が悪くてね、天気も良くない日が多かったし。」
「腰か、病院へは行った?痛み止め飲んだり、湿布薬とか使ってる?」
「病院行かない、薬飲まない、湿布薬貼らない主義なんだ。」
「病院は行った方がいいと思うけど、薬はなぁ、要らないよなぁ。」
「そう、そっちもそう思うんだ。」
「薬は一時凌ぎだからなぁ、治っているんじゃなくて、痛みを忘れているだけさぁ。」
などという話になった。そうだよな、嫌なことを忘れるために酒飲んで酔っ払うみたいなもんだよな、と思いつつ、最近自作の塗り薬を使っていることを思い出し、
「最近そういえば、自作の塗り薬を使っている、セッコツソウって薬草があって。」
「薬草か、自分で作ってるんだ、それは自然のものだからいいんじゃないの。」
さすが自由人、野生のように生きているから自然のものに理解があるんだ。と感心しつつ、会話も続けながら墓掃除を終えて、「じゃあ明日また」と言って別れる。
自由人に語ったセッコツソウ、塗り薬として痛みのきつい首回り、腰回りに軽く塗っている。セッコツソウは干してお茶にしても飲んでいた。1回目の収穫で湯飲み10杯ほど飲んで、そこで品切れとなって2週間ほど間をおいて、今週日曜日から再開している。塗っているのが効いているのか飲んでいるのが効いているのか不明だが、首の痛みはだいぶ軽減している。腰痛に対する効果はまだ現れていないが、実験する価値はありそう。
過日、薬草研究家のHさんが薬草普及の組織を立ち上げ、その1員に私も含まれてしまった。で、その日以降ほぼ毎日、薬草探しをしたり、図書館へ行って薬草の勉強をしている。薬草の中には毒性のあるものがあり、副作用もあり生半可な知識では他人に教えられるものではないと思っての事。実体験も必要と思い、今はセッコツソウの人体実験中。週に1種ではなく月に1種とのんびり実験、のんびりなら怠け者の私でもできるはず。
記:2019.5.17 島乃ガジ丸
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行