年が明けた、2012年となった、だからといって私の身に何らの変化も無い。今年もまたいつものように程々に楽しんで生きていくであろう。
程々で十分と私は思っているので、大きな幸せ(って何だろう?一般には宝くじで3億円とか、結婚とかかなぁ?)を望んで神頼みなどしない。おそらく、大人になってから一度も無いと思う。お守りの類も買わないし、幸運を呼ぶなんたらというのも興味が無い。仏壇に手を合わせることはたびたび(沖縄の風習では少なくとも月に2回はある)あるけれど、何か祈ったり、頼んだりはしない。何も思わずただ手を合わせている。
そんな罰当たりの私だが、めでたい正月に欠かせないものとして七福神なるものがあることは知っている。七福神の一柱(神の数え方、罰当たりでも知っている)に布袋様がいることも知っている。さて、正月、子供たちに会うのを恐れている私(お年玉が怖い)が2012年最初に紹介するのは布袋様を名前の由来にしている植物、ホテイチク。
ちなみに、罰当たりの私だが、七福神には弁天様、福禄寿、大黒様などがいることも知っている。・・・残りの三柱は何だったか、今は思い出せない。
ホテイチク(布袋竹):添景、釣竿、食用
イネ科の常緑竹類 中国原産 方言名:チンブクダキ
名前の由来、資料が無く正確な所は不明だが、広辞苑に布袋竹との漢字表記があり、そこから容易に想像できる。「稈の下部は節間が短く、膨れ出して」(広辞苑)の膨れたところが布袋様のお腹の膨れ具合のように見えるからだと思われる。
方言名のチンブクダキ、チンブクは中年以上のウチナーンチュには馴染み深い言葉だと思う。ベテラン中年の私も良く知っている。チンブクは釣竿のこと。棹が釣竿用に使われることからチンブク(釣竿)ダキ(竹)となる。子供の頃、祖父に連れられてフナ釣りへ行った。オジーの肩に長いチンブクダキ、私の肩に短いチンブクダキがあった。
高さ5~12m、径3~7センチ。鞭根性。棹が太り、節が電光状となるのが特徴。筍は食用となるらしいが、美味であるということは無いみたいである。
記:島乃ガジ丸 2012.1.2 →沖縄の草木目次
参考文献
『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
『花の園芸大百科』株式会社主婦と生活社発行
『新しい植木事典』三上常夫・若林芳樹共著 成美堂出版発行
『花合わせ実用図鑑』株式会社六耀社発行
『日本の帰化植物』株式会社平凡社発行
『花と木の名前1200がよくわかる図鑑』株式会社主婦と生活社発行
私の部屋は西向きに大きな掃出し窓が2つあり、その窓の傍に食卓兼事務机が置いてある。食事の時も、こうやってパソコン作業をする時もその机の前に座っている。
西向きと書いたが、正確には西南西に向いているといった方が近い。6月下旬の夏至の頃からしばらくの間は、机に西日は差すが、椅子に座っている私には壁に遮られて西日は当たらない。それが、しだいに夏が深まって、暦の上では立秋が過ぎる頃になると、西日が体にも当たるようになる。8月の中旬というもっとも暑い時期に、西日が激しく当たるということになるのである。その頃はまた、風も少ない。辛い日々。
午後4時か5時頃になると西日を簾が遮ってくれる。それでも、亜熱帯の太陽の熱射は強力なので、簾の隙間から漏れる日差しだけでもかなり暑い。右の腕から手の甲にかけて熱くなり、机の上が熱くなり、椅子の右半分が熱くなる。おそらく、机付近の温度は40度近くに達しているに違いない。それでも私は我慢できる。ただ、私は我慢できるが、パソコンは我慢できないに違いない。パソコンのためを思って、窓にタオルやシャツやパンツをハンガーにかけて吊るし、机の近辺に日陰を作ってあげる。
ウチナーンチュの私はパンツで日陰を作るのだが、薩摩男子は褌(ふんどし)で日陰を作るであろう。薩摩では褌のことをヘコと言う。よって、日陰を作ってくれる褌のことを薩摩ではヒカゲヘコと呼んでいる・・・かもしれない。
植物のヒカゲヘゴ、鬱蒼としたジャングルの、日の当たらないような所に自生しているので日陰ヘゴ、なのかと思っていたが、ヒカゲヘゴは高くなり、太陽の光をいっぱい浴びているのも多いらしい。日向でも十分に生育するのだ。なので、たぶん日陰に生息する植物という意味での日陰では無いと考えられる。私が思うに、ヒカゲヘゴの樹形が、樹冠で葉を大きく広げ、傘のような形になり、根元を日陰にしてくれる。つまり、日陰を作ってくれるからヒカゲヘゴと呼ばれている・・・かもしれない。
ヒカゲヘゴ(日陰杪欏):添景
ヘゴ科の常緑シダ植物 原産分布は奄美以南、沖縄、台湾、他 方言名:ヒグ
幹が直立し、高さ10mほどになる大型のシダ。ヤンバル(沖縄本島の北部地域)の山地の谷間などに大きなヒカゲヘゴが自生していて、熱帯のジャングルのような景色、あるいは、映画などで表現される恐竜時代の景色を思わせる。
放射状に張り出す葉は古くなると枯れて落ちる。その付け根の跡が幹に残り、面白い模様となって、それが放射状の葉とともに観賞価値を持つ。ヒカゲがどういう意味かは別にして、耐陰性はある。で、観葉植物としても利用される。ヒカゲとあるが陽光地でも育つので、民家の庭の明るいところ、暗いところどちらでも使える。ただし、独特の雰囲気を持った容姿なので、それだけで庭のイメージを変えてしまうこともあるので注意する。
ヘゴの幹は木材として利用価値がある。床柱などにも使われるが、ポトスやモンステラなどの着生植物の着生材料として、園芸店でよく見かける。別名モリヘゴともいう。ヘゴのゴの漢字、見たことも無い難しい字だが、広辞苑にあった。
記:島乃ガジ丸 2005.8.16 →沖縄の草木目次
参考文献
『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
私が子供の頃、沖縄はまだ米国民政府の施政下にあり、軍人だけでなく米国籍の民間人も占領軍側の人間として優遇され、現地人であるウチナーンチュとの間には大きな差別があった。なにより、彼らは沖縄のどこへでも自由に行き来できたが、ウチナーンチュは彼らの住む広大な敷地内には、許可が無ければ出入りできなかった。それは、今でもそう。
小学生の頃、遠足でコザ(現沖縄市)やら嘉手納辺りをバスで通る時には、バスガイドのお姉さんが決まって注意することがあった。「ここはカメラ撮影の禁止地区です。」
キンシチク!・・・写真でさえ自由に撮ることのできないキンシチクが沖縄にはかつてあった。そこは何も、個人の建物の中というわけでも無く、銭湯でもヌーディストビーチでも無い。バスが走る道路は普通のアスファルトの道。沖縄の人々の乗る車が行き交う道。青い空があり、白い雲があり、その下には建物があり、所々に樹木が立ち、草が茂っている。普通の風景がそこにあるのだが、そこは写真撮影のキンシチク。何故か?
子供たちを乗せて走るバスの、その道路沿いにはずーっとフェンスが張られており、フェンスの向こう側はアメリカ軍の基地があった。そこで写真を撮ることはスパイ行為(たぶん、それもおそらくソ連のスパイ)と見なされるのであった。基地は今も変わらずにそこにあるが、現在はしかし、写真撮影のキンシチクでは無くなった。復帰後、ウチナーンチュに対する差別も少なくなり、ウチナーンチュは外から見える部分という制限付ではあるが、我が島の風景を自由に撮ることができるようになったのである。
さて、今回紹介するキンシチクは、そのキンシチクとはまったく関係無い。
キンシチク(金糸竹):公園・庭園・鉢物
イネ科タケ亜科の常緑高木 原産分布は中国、東南アジア 方言名:なし
本土(沖縄以外の他府県のこと)へ旅行すると、沖縄には無い景色を見る。新宿やら原宿やらの街の景色のことは置いといて、自然の風景に限って言えば、杉林や檜林の景色がそう。沖縄には無い。そして、広い面積の竹林も沖縄ではあまり見かけない。田舎へ行くとリュウキュウチクが繁殖しているのをよく見るが、それは高さ3mほどの丈しか無く、広がりもさほど大きくは無い。本土のモウソウチクに比べたら屁でも無い。
このキンシチクも大群落となっているものはあまり無い。私は見たことが無い。10本か20本が株となって、一つの景色となっているのは時々見る。棹がきれいな色をしているので、庭の雰囲気を演出することができる。竹のある庭として主木にできる。
棹に黄金色の線が入るので金糸竹という名になる。黄色の線は幾筋も入るので全体が黄金色に見えてきれい。高さは10~15mほどの、沖縄では背の高い竹。
キンシチクの棹
記:島乃ガジ丸 2005.8.15 →沖縄の草木目次
参考文献
『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
抽象画的観察力を持っている私は、と言って、別に威張っているわけでは無い。物事を大雑把にしか見ない、つまり、観察力が粗いという意味。で、そんな私は、これまで目にした竹の種類を、特徴のあるナリヒラダケ(葉に斑がある)、クロチク(棹が黒い)、キンシチク(棹に斑がある)を除いては、全てひっくるめて竹という認識でいた。
散歩して、竹を見つけて、写真を撮ったりしているうちに、大きな竹と小さな竹に分類できるようになり、図鑑を見て、いろんな種類があることを知った。
いろんな種類の中には似たようなものがあり、それらは未だに区別がつかない。数年前にマダケを紹介したが、その時は、「大きな竹はマダケ」という認識に拠っており、今年になってそれが間違いであることが判った。その記事は削除した。
ダイサンチクは棹の高さ、太さ共にマダケとほぼ同じ、写真を見てもどれがどれやら大雑把な私には区別がつかない。ただ、文献に「沖縄本島の屋敷内に見られる竹はほとんどこの種です」という説明で、ダイサンチクが紹介されている。
近所の小学校の庭の一部が今年になって清掃され、そこにあった大きなゴミ置き場が別の場所に移された。ゴミ置き場の後には背の高い竹が生えている。遮るものがなくなって根元からその姿が見えるようになった。根元から1メートルの高さに名札があった。ゴミ置き場に隠れて今まで見えなかった名札には、ダイサンチクとあった。
「あー、これがダイサンチクか。」となった。が、親戚の庭にあったのも、友人の庭にあったのも、これと同じなのかどうかは、大雑把な私には判別できないでいる。
ダイサンチク(泰山竹):景観、添景、食用
イネ科の常緑タケ類 中国、東南アジア原産 方言名:マータク
泰山は「たいざん」と読み、広辞苑によると「中国の名山。山東省泰安の北方にあり、五岳中の東岳。」のことで、「古来、天子が諸侯をここに会し、封禅の儀式を行なった。また、死者の集まる山ともいわれ、・・・」とのこと。これと本種がどういう関係かについては不明。「名山」ということから「名竹」という意味かもしれない。既にこのHPで紹介しているタイサンボクも泰山がつくが、これも不明のままにしてある。
方言名のマータクは、漢字で表すと真竹となって、倭国で多く見られるマダケと混同してしまうが、「いかにも竹らしい竹」といった意味であろうと思われる。
別名コウコウダケ(孝行竹)と言う。「母竹の外側に竹の子を出し親竹を保護しているように見えるので」(寺崎日本植物図譜)とのこと。その通り、株立ち性の竹。
高さは、文献によって6~8mとするもの、10~20mとするものがあった。私が見たものはおよそ8m、環境の良い(風当たりの弱い)ところではもっと伸びそうだ。
径10センチ内外、棹は濃緑色をして艶があってきれい。庭の景観として用いられ、材は旗竿などに利用されたとのこと。竹の子は食用となるが、「あくが強く美味でない」そうで、他に食うものが無い時にしょうがなく食う、といったものであろう。
別頁で紹介しているキンシチクは本種の変種。
学名は、Bambusa vulgaris Schrad.
キンシチクは、Bambusa vulgaris Schrad var.
棹
葉
記:島乃ガジ丸 2009.10.25 →沖縄の草木目次
参考文献
『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
大昔、侵略されたウチナーンチュではあるが、侵略した鹿児島人を、そのことが理由で嫌っている人はまずいるまい。薩摩にとって琉球侵略は歴史の必然であったのかもしれないし、侵略後もたぶん、薩摩の役人は、そうひどいことはウチナーンチュに対してやらなかったのだろうと思われる。薩摩役人の悪行は、あまり伝わっていない。
琉球を支配下に置くことによって薩摩藩の財政は潤い(その分、琉球はたいそう貧乏だったぜ)、そして、その金は明治維新の際の大きな力となった。明治維新は、だから、ウチナーンチュのお陰も多分にあったのだ、と私は思う。
その明治維新に貢献した幕末の英傑たちの中で、私が興味を持ち、こいつぁー偉いと思っている人は、坂本竜馬、大久保利通、勝海舟などいるが、子供の頃、最も好きな人は西郷隆盛であった。テレビドラマや本で、西郷隆盛は義理人情に厚い、男気のある大人物として描かれていたからだ。最後が悲劇に終わるところがまた、子供心の同情を誘った。
その西郷、一時期、奄美大島に流される。そこで、愛人を設ける。義理人情に厚い、男気のある西郷なので、それはごく自然のなりゆきだったにちがいない。愛人の名は加那。
さて、その加那のことを唄ったのではないかと思われる歌謡曲がある。古い歌だが、沖縄の歌(奄美の人は迷惑かもしれないが、ウチナーンチュは奄美も沖縄のうちだと思っている。)としてたびたび紹介されるので、私も少し知っている。
赤い蘇鉄の 実も熟れる頃
と始まる「島育ち」という歌、続く歌詞はおぼろげでよく覚えていないが、最後は、
加那も年頃 加那も年頃 大島育ち
で終わる。カナの出てくる歌謡曲がもう一つある。これも古い歌で、「島のブルース」
奄美懐かしゃ 蘇鉄の陰で
(ちゃんと覚えていないので、中略)
長い黒髪 島娘 島娘よ
両方の唄にあるソテツ、それはまた、奄美の画人、田中一村の作品にも印象深く描かれている。そのお陰で、ソテツというと奄美を思い出してしまうのだが、ウチナーンチュにとってもソテツは身近な植物である。庭木としても好まれて、子供の頃、近所にも多くあった。ソテツの葉は先が鋭くチクチク射す。チクチクを我慢して虫篭作りなどもした。
ソテツの実および茎には大量の澱粉が含まれているので、琉球王朝時代から救荒食物として扱われ、王府はソテツの植え付けを奨励し、飢饉に備えさせたとのこと。しかしソテツの実や茎には有毒成分サイカシンが含まれており、十分に除毒操作をしなければ中毒を起こし、死に至ることもある。世界大恐慌の頃、ウチナーンチュは他に食い物が無くてソテツを食った。これを指してソテツ地獄という言葉が残っている。→「生きるために」
ソテツ(蘇鉄):庭木・公園
ソテツ科の常緑中木 原産分布は九州南部、琉球列島 方言名:スーティチ
各地の海岸や原野などに自生し、石灰岩地帯を特に好む。山野の暗い木陰の下でも生育するが、元来陽光地を好きで、陽光のよく当る場所では、葉の色も鮮やかに照り輝く。潮風に強いので、海岸近くの景観樹木としてよく使われる。
成長は遅いが、長い年月をかけて大株になったソテツは、それだけでその庭の空気を作ることができるほど存在感がある。久米島宇根の大ソテツが有名。
ソテツは食料となるだけでなく、その葉は効果の大きい緑肥としても使われる。
実
記:2005.2.7 島乃ガジ丸 →沖縄の草木目次
参考文献
『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行