玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『三つのブルジョワ物語』(5)

2015年07月03日 | ゴシック論

 次の標的は公園でマウリシオの方に向かってくる茶色の服を着た男であり、テーマ曲は〈絞首台〉である。ラヴェルの「夜のガスパール」の中でもっとも陰鬱でゴシック的な曲によって、マウリシオは何をしようというのか?
〈絞首台〉は不気味な鐘の音を執拗に繰り返す曲であり、ドノソはそれを公園のベンチに見立てて、恐ろしい文章を書く。
「ベンチが鐘の音のように一定間隔に並んでいた、ひとつ……ふたつ……みっつ……よっつ……その音楽のゆるやかな歩み、死刑台へ行けという命令をくり返すもの悲しい鐘の音、ベンチがひとつ、またひとつ彼は仮借ない歩調で足を運んだ」
 見事な文章である。さらに、
「マウリシオの心の中に《絞首台》の曲全体が広がり、茶色の服の男がその曲の中に入りこんできた。男の足どりが、マウリシオが頭に思い描いている譜面の中に楽譜を刻みつけていった」
 その譜面とはどんなものか見てみよう。同じ音階で連続的に響く鐘の音が聴き取れるだろう。

 

 マウリシオは頭の中の鐘の音に導かれて、茶色の服の男と一緒に絞首台に登ろうとする。しかし、すでに男は絞首台に吊された者のように体の力が抜けきっている。儀式は不可能なのだろうか?
 マウリシオは口笛の音を大きくして、男に対する支配力を増強する。すると男は「奴隷のようにのろのろ、あとをつけるでもなくついてきた」。しかしそれは男の偽装であって、マウリシオは結局男を支配する事に失敗する。そして一瞬にしてマウリシオは「傷つきやすい少年」に戻り、恐怖に駆られてその場を逃れるのである。
 このあたりの緻密で濃密、さらには執拗な描写は、ヘンリー・ジェイムズの影響を指摘できる部分であろう。ジェイムズは人間同士の心理のぶつかり合いにおいて、このような細密な描写を多用したが、ドノソは人間の心理というよりは人間同士の意識の布置と、その刻々の変化を精密に捉えるために、そのような描写法を使っているように思われる。
 ヘンリー・ジェイムズには人間の心理に対する強固な信頼があったが、20世紀も半ばを超えた時代のドノソにはそのような心理への信服はない。むしろマウリシオが「ほんの少しでいいからひとびとの意識に触れたい」と言うときの"意識"こそ、ドノソが描こうとしているものではないか。
 しかし、この「夜のガスパール」におけるドノソの筆法は、ジェイムズのそれにそっくりだと言うことはできると思う。