「ベニート・セレーノ」はメルヴィルの本領を発揮した大傑作だと思う。この船を舞台にした作品は、実際にあった事件をもとにしているらしいが、メルヴィルはこの作品で、船というものをそれまでなかったレベルで、ゴシック的空間とすることに成功している。
牢獄や修道院、あるいは古い城は閉鎖空間として相当に堅固な性質を持っているかも知れないが、よく考えてみれば洋上を航海する船ほどというわけではない。牢獄や修道院からはいかに困難とはいえ脱出が可能であるが、航海中の船から脱出することはほとんど不可能である。
大海原に浮かぶ船が自由のイメージを持っているとしても、それは現実とは大いにかけ離れている。船から脱出することは海に投げ出されることを意味しているのであり、つまりそこに死が待っているだけなのであるから。
「ベニート・セレーノ」はそうした閉鎖空間としての船の特徴をストーリー展開において、あるいはそれだけではなく、登場人物の心理的葛藤の上において最大限に活かすことに成功していると言える。
メルヴィルはまず、海豹猟兼雑貨貿易の大型船船長アメイサ・デラノーのもとに、救いを求める難破船のような不思議な船サン・ドミニック号を出現させる。デラノー船長はこのサン・ドミニック号を修道院に似ているとさえ思う。
「前とは違った近い距離から眺めてみると、切れぎれになった霧が襤褸屑のようにあちこちを覆っている船体は、(中略)ピレネー山脈のとある暗褐色のがけの上に建っている僧院が雨に洗われたあとに見せる白亜の姿を彷彿させた」
とメルヴィルは書く。外観だけではなく、乗組員にさえ僧院のイメージを重ねて、「紛れもない修道僧の一団が彼の眼前で船上いっぱいに群がっているように思った」とも書く。さらに、
「なにしろ霧にかすむ彼方には黒頭巾を被った人間の群れが舷檣からこちらをじっと窺っているように見えたし、そのほかにも動く黒い人影が開いたままの舷窓を通して見え隠れし、そうしたぼんやりと認められる人影もまた僧院の歩廊を往ったり来たりする黒衣のドミニコ会修道僧のように映るのだ」
これはしかし、デラノー船長の誤認であり、実際はサン・ドミニック号が黒人奴隷を運ぶ船であったということなのだが、小説の導入部としてメルヴィルにとって、どうしても必要な誤認であった。
そこにはメルヴィルが、船をゴシック的な空間として強調しようとする強い意志があるからである。さらに物語の展開とともに、サン・ドミニック号の船内もくまなく紹介されていくが、船内についてももちろん、それをゴシック的空間として描写しようとするメルヴィルの意志を感じとらなければならない。
たとえば、船内の狭い廊下は"地下納骨所"にさえたとえられる。次のように。
「彼が、トンネルのように薄暗く、船室から階段へと通じている狭い廊下の途中まで来るや、どこかの刑務所の中庭で死刑執行を告げるべく鳴らした鐘のように、不意に鐘の音が彼の耳を襲った。それはひび割れのできた船の鐘が時を打った音の反響であり、今この地下納骨所ともいうべき廊下に侘びしく響き渡っているのだ」