玄文社では今月24日に、阿部松夫編著『ただたのみます いくさあらすな』の刊行を予定しています。以下に近刊案内のチラシを掲載しますので、ご覧いただきたくお願い申し上げます。
詳しい内容については後日お伝えします。
メールでのご注文も承ります。
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前回ストレザーが経験する二つの大きな転換点ということを書いた。その一つは何かといえば、ストレザーが使者としての使命に自信を持てなくなり、チャドやヴィオネ夫人達が形成しているヨーロッパ的精神性に目覚めていく過程である。
ストレザーはたいした情熱もなく結婚し、妻を失ってくたびれた初老の男として登場するが、チャドやヴィオネ夫人と出会うことで、初めての"青春"を生きるのである。
ストレザーの使命とは、彼が仕えるアメリカのウレットという都市(架空の名前である)の工場主ニューサム夫人の依頼で、工場をさらに発展させるために夫人の息子チャドを連れ戻すことである。そしてそれに成功すれば、ストレザーはニューサム夫人と結婚し、老後の安泰を保証されることになっている。
ニューサム夫人は小説中一度も登場しない人物であるが、それにも拘わらず他の登場人物に対して強力な支配力を行使する。ある時は手紙で、ある時は第二の使者となる娘のセアラの強硬な姿勢を通して。不在の人物の存在感をこれほどに発揮させた例を私は知らない。『鳩の翼』におけるモード・ラウダー夫人のあり方に似ているが、言うまでもなくそれ以上の存在感がある。
ストレザーの価値観は当初、ニューサム夫人の価値観に染まっている。それはつまり、ウレットの価値観であって、ストレザーはパリでそのような価値観を覆されるという重大な転換を体験するわけである。簡単に言えば、それはアメリカ的な拝金主義的価値観から、ヨーロッパ的な精神主義的価値観への転向であって、そのことがストレザーに初めての青春をもたらすのである(第一の青春はなかったのであるから第二の青春ではない)。
それを導いていくのは、"ヨーロッパ案内人"たるゴストリー嬢であり、ストレザーはゴストリー嬢によって甦るのであって、ヴィオネ夫人によってではない。パリの社会の中で、ストレザーを自立させるのも、かれに超能力的なテレパシーを与えるのもゴストリー嬢であって、ヴィオネ夫人ではない。
だから『使者たち』がストレザーとヴィオネ夫人の物語として読まれてきたことに対して異論がある。ヴィオネ夫人はチャドを"立派に成長させた"という功績によって重要な人物ではあるが、実際にどのようにしてそれを行ったのかについての言及はまったくない。
ヴィオネ夫人は、ただひたすらに美しく、その美しさによってヨーロッパ的価値観を代表する。ストレザーは美しいヴィオネ夫人との出会いをきっかけとして、ヨーロッパ的な精神性に目覚めるのかも知れないが、そのお膳立てをするのはゴストリー嬢に他ならない。
だから最後別れの場面は、ストレザーとヴィオネ夫人のためにではなく、ストレザーとゴストリー嬢のためにとっておかれるのである。