ホセ・ドノソの新刊が出たので、早速買って読んだ。水声社から出ている「フィクションのエル・ドラード」の一冊で、1980年に出版された『ロリア侯爵夫人の失踪』である。
これでドノソの作品は『境界なき土地』(1966)、『夜のみだらな鳥』(1970)、『三つのブルジョア物語』(1977)、『別荘』(1978)、『隣の庭』(1981)と、主要な小説作品の翻訳が揃ってきた。残すは1986年の『絶望』くらいか。
私がラテンアメリカ文学のもっとも重要な作家と考えているホセ・ドノソの作品は、『夜のみだらな鳥』が1983年に翻訳されて以来、他にはまったく日本に紹介されてこなかった(「この日曜日」という作品が1973年に『筑摩世界文学大系』に入っているが、この時も注目されることはなかったし、今では手に入らない)。他の作家の作品が複数翻訳されていたことを考えると、無理解も甚だしいと思わざるを得ないが、『夜のみだらな鳥』があまりにも難解であったためだったのだろう(『別荘』の方が先に訳されていれば決してそんなことにはならなかっただろう)。
このところ次々とドノソの作品が紹介されるようになったのは、ラテンアメリカ文学が一時のブームではなく、きちんとした評価のもとに定着してきたことを意味していると思う。それも現代企画室の「ロス・クラシコス」と水声社の「フィクションのエル・ドラード」の二つの叢書、そして国書刊行会の出版活動のお陰である。さらに言えば、このところ超人的な翻訳活動を続ける寺尾隆吉の努力の賜と思う(『ロリア侯爵夫人の失踪』もこの人の訳)。
ビオイ=カサーレスの項で、ゴシック小説とラテンアメリカ文学との深い関係について一定の見通しを立てたと思うが、ラテンアメリカの作家の中でもっともゴシック的な作家は間違いなくホセ・ドノソである。ホセ・ドノソはアルゼンチンの隣国チリの作家であり、ゴシック小説受容に関してチリがアルゼンチンやウルグアイと同じような事情のもとにあったのかどうか、是非知りたいところである。
チリもまた、ほぼ完全な白人社会と言われているが、例のCIAの資料を見るとチリの人種構成は、メスチソが95%、その他(インディオや黒人以外の他民族)が5%となっている。純粋な白人はおらず、白人とインディオの混血がほとんどを占めていることになっているが、このメスチソというのが分からない。
CIAの資料によると、メスチソは白人とインディオとの人種的混血を意味するのみならず、人種上のインディオでも、もともとの言語ではなくスペイン語を話すようになった者も意味しているという。つまりは準白人ということか。ならばチリは準白人社会ということになるだろう。
ホセ・ドノソにも、マルケスやリョサのような土俗的で呪術的な素質はない。『夜のみだらな鳥』を読めば分かるように、そこには極端なほどの精神的ゴシック性があって、それはやはりヨーロッパ的な精神性に直結しているのである。
『別荘』は『夜のみだらな鳥』とはまるで違った味わいの傑作であるが、そのゴシック性において共通しているし、どちらも南米的な土着性を感じさせることはない。いずれこの二大傑作に挑戦しなければならないし、それこそが私の最終目標なのであるが、今は『ロリア侯爵夫人の失踪』について書かなければならない。
とにかくドノソの『夜のみだらな鳥』と『別荘』は、あまりにも巨大な金字塔であって、うかつに近づくことが出来ない作品である。ドノソについてはこれまで、『三つのブルジョア物語』の中の「夜のガスパール」に触れたのみであるが、このような周辺作品から近づいていくしかない。
ホセ・ドノソ『ロリア公爵夫人の失踪』(2015,水声社「フィクションのエル・ドラード」)寺尾隆吉訳