玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『この日曜日』(2)

2015年10月22日 | ゴシック論

『境界なき土地』で指摘したことだが、最初に伏線を張り巡らせておいて一気に最後まで引っ張っていくような構成力や、『別荘』に見られるようなストーリーテラーとしての圧倒的な力量、そして複数の語る主体を交叉させる複雑な話法は、他の追随を許さないものがあるのではないか。おそらくガルシア=マルケスを除いては……。
 そんなことを『この日曜日』を読んで感じている。また『別荘』で33人の子供達を一人ひとり書き分けるという離れ業に挑戦しているように、人物の個性を際立たせて生きいきと描く力量も傑出している。
『この日曜日』での主要な人物、アルバロとその妻チェパ、アルバロと過去に関係していたビオレータとチェパの庇護を受ける受刑者マヤの人物造形は極めてクリアーであり、それは『境界なき土地』における、マヌエラとハポネサ、パンチョ・ベガについても言えることである。
 基本的にこの小説で描かれているのは、ブルジョア夫婦の偽善とその敗北である。妻に無関心でありながら、妻のすることに口を出さないではいられないアルバロと、夫にはまったく関心を持てず、土曜日曜以外は一日中家を空けて慈善事業に血道をあげているチェパの対立を中心に据えている。
 刑務所の囚人が作った品物の販売会でチェパはマヤに会うが、彼の作る革製品のできばえに驚いたチェパは、彼の人柄にも夢中になり、彼の刑期短縮と出所のために奔走するのである。出所が決まればマヤのために仕事場や住居の面倒までみていく。
 マヤはしかし、チェパの善意の重圧に耐えられず、昔の悪い仲間の所へ戻っていく。マヤはチェパに次のように言い放つ。
「あれだけ赦し、あれだけ助けてくれても、奥さんはおれを信用していないんだ……だからおれは悪いことをする……奥さんがオレを信じてくれないから」
「あなたは恐いんだ。おれが罪人だという考えを断ち切ることができなかった。信頼もしていないのに、どうしておれを刑務所から出したんですか?」
 それでもまだチェパには分からない。彼女はマヤの姿を求めてスラム街に入っていく。そこで子供達の集団にからかわれ、取り囲まれて、こう言われるまで分からないのである。
「わからないの? マヤは正しかったってこと……」
 チェパはそこで気を失い、初めて自分の敗北を知るのである。マヤがもとの世界に戻ってしまったのは彼女自身のせいであったことを。
 この作品にはドノソの世界に特有のゴシック的要素もある。孫達に〈お人形さん〉と呼ばれるアルバロの閉鎖的性格、後半に登場するスラム街の子供達の不気味な行動、そして「おばあさんの家」(アルバロとチェパの家)が、彼らの死によって誰も住む者がいなくなり、廃墟と化していくところなど。
 この小説のラストで孫の一人である「ぼく」は「おばあさんの家」が無人となり、転売され、スラム街の子供達のすみかとなり、崩壊への道を辿っていく様子を語る。この寂寞感は喩えようもないものとして読者に迫ってくるのである。