もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

さんま師匠の名言

2023年01月10日 | 芸能

 明石家さんま師匠の言に心を打たれた。

 ネット記事の孫引きであるが、さんま師匠は「1日の食費1000円」というイジリに、「目とか脳は儲けているのを解っているけど、胃は儲けてるって知らないやん?」と応じたとされている。
 自分の解釈では〖外聞・外見を気にせず、自分の独自スタイルを貫くことが大事〙という含蓄を師匠らしく表現したものと思った。
 経営の神様と云われた土光敏夫氏の夕食メニューは「目刺し・菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米」であったとされており、「豪邸に住んで派手な生活をするような人は、あまり信用できない」とも述べておられるので、さんま師匠の言も土光氏と通じるところがあるように思える。
 一般的であるが、年齢や地位に応じた外見を整えることが無言のうちに世間から要求されるし、何よりも当人がその要求に応じることを選択する。
 土光氏やさんま師匠は、地位・資産については周知のとおりであるので、例え目刺し定食でもコンビニ食でも窮乏の所為とは見られないという点はあると思うが、そのスタイルを貫くことは世間体を気にしないという解脱が必要であるように思う。
 文章力のある方の手によって、今少し推敲されたならばさんま師匠の言も名言として後世に残るほどの言葉では無いだろうか。同じ名言があるのかと考えてみたが、思いつく名言・古語はいずれもニュアンスにおいて若干異にしていると思った。もし、ご教示頂けたら幸いです。
 ハリウッドスターのキアヌ・リーブスは、ジーンズで道路の縁石に腰かけてハンバーガーを食べている姿を良く目撃されるらしいので、才能・名声に恵まれて名を挙げた人が、自分のライフスタイルを貫くのは洋の東西を問わないようである。

 40代後半、妻のお供での銀座の有名デパーでセーターを眺めていた。2~3万円台の棚を眺めていたら、店員が近寄って「お客さんでしたらこちらの方が」と10万円近い純カシミヤの棚に案内されて執拗の勧められた。今思っての恥ずかしいことであるがあまりのわずらわしさに「男の着る物などチ〇コが隠れれば十分」と店員を一喝したが騒音下の機関室での勤務に慣れた声は大きかったらしく、周囲の客はビックリ、売り場主任が飛んで来た。妻はと云えば「知らない人です」の気配を濃厚に漂わせて・・・。
 外見・世間体を気にする必要もない自分であるが、さんま師匠の言を心の拠り所としようと思った。


香川照之氏を応援

2022年09月02日 | 芸能

 香川照之氏が苦境に立たされている。

 発端は、数年も前の、それも当事者間の示談で解決されている「酒席の愚行」が週刊誌で報じられたことと理解している。これによって、香川氏は会見の場を設けて謝罪・説明することで社会的に大きな犠牲を余儀なくされ、経済的にも、トヨタがCMの放送を中止するとともに契約を延長しないことを決定し、NHKを始めとする各局は氏の出演番組の放送中止や今後の番組参加を見合わせるという犠牲を強いられている。
 悪行の顛末を斜め読みし、かつ、男尊女卑の旧弊から完全に抜け出せない老人の戯言として読んで頂きたいが、香川氏の行動は社会的・経済的に「それほどの糾弾に値する行為だろうか」と疑問を持っている。自分と同年配の諸兄にあっては、胸に手を置いて考えるまでもなく、今となっては「汗顔の至りながら、この程度のご乱行」は容易に思い浮かぶものと思う。
 かって酒席は、闇取引のための密談等の場を除いて男女に浮世の憂さとストレスを忘れさせる場であり、香川氏程度の愚行は人の口端に上ることは無かったし、部外に漏れることも無かったのではないだろうか。それは、大げさに書けば酒席を取り仕切る人の守秘の職業倫理や、店と客の共通認識が働いていたことに依るように思える。過去の経験でも、度を過ぎた悪行については警察沙汰になったり店への出入禁止を言い渡された例も知っているが、香川氏程度であれば「ママの小言でチョン」であるように思える。
 ともあれ、会見で済々と説明し謝罪した香川氏の男気に敬意を表するとともに、エールを送るものである。

 テレビ局の多くが香川氏にペナルティを科す一方で、テレビ朝日のみは従前通りに対応するとしている。慰安婦報道以後、報道ステーションから遠ざかっている身であるが、今回のテレ朝の対処は評価している。
 香川氏に関する報道と懲罰を眺めると、ある日突然に「旭日旗」を持ち出して日本に謝罪を迫る韓国の粘液質と通じるように思える。報道と懲罰の真意は何であるのだろうか。法的に解決した故人の過去を世に知らしめることに何の公益があるのだろうか。さらには遡及的懲罰で経済的ダメージを与えることに何の意味があるのだろうか。
 今になっても、蓮舫議員の二重国籍問題や小池百合子氏の学歴詐称問題は依然として藪の中であるが?


ファドに思う

2022年08月16日 | 芸能

 半月間、テレビ・新聞・ネット情報から遠ざかっていた。

 高々半月であったので今浦島になることもなかったが、それでも広島カープは2位から5位と順位を下げ、改造岸田政権が船出していた。
 15日間の後半は、持ち込んだ本を読み尽くしたために数独パズルと音楽のみとなったが、アマリア・ロドリゲスの数曲に癒された思いがする。
 アマリア・ロドリゲスを知ったのは、北方健三先生の作中で、主人公が訪れるバーのBGMが木曜日は彼女のファドが流される設定となっていたことからである。昨日彼女の足跡をWikipediaでたどると、ポルトガルの国民的歌姫で、日本になぞらえるとポルトガル国民からは美空ひばりさんと八代亜紀さんを併せた以上の支持を得た存在であったとされていた。さらに《1999年に79歳で死去した際、ポルトガルは3日間の喪に服し、2001年にはリスボンのサンタ・エングラシア教会に移送され、エンリケ航海王子、ヴァスコ・ダ・ガマらとともに、国民的英雄10人の一人として眠っている。》と結ばれ、まさに国葬に匹敵する栄誉に彩られているようである。
 国葬と云えば、レゲエの先駆者であるジャマイカのボブ・マーリーは国葬でおくられ、世界的FIドライバーのアイルトン・セナが事故死した際にはブラジルは3日間の服喪期間を設けたとされている。
 安倍晋三氏の国葬問題に関しては、15日間で沈静化したであろうと思っていたが、溜まった新聞を読み返すと、相も変わらずに怪しげな市民団体が「国葬費用の支弁停止訴訟」を起こしたり、一部識者は旧世界基督教統一神霊協会との関係性等から国葬に対して懐疑的な主張を繰り返しているようである。
 歴史・全世界を眺めても、政治・軍事的に類稀な実績を挙げて英雄と評価される人の多くも倫理的には完全無欠の聖人君子でないことも多いし、国葬の栄に浴した著名人を眺めても高い倫理感で人生を全うされたのはマザー・テレサだけであろうとするのは暴論であろうか。

 「世の中に 蚊ほどうるさき ものは無しブンブ(文武)ブンブと 夜も寝られず」との狂歌は有名であるが、「心得ぬ 鈴虫ほどうるさき ものは無し リンリ(倫理)リンリと 世情を騒がす」
 アマリア・ロドリゲスのファドから導かれた狂歌。どうでしょうか?


ブルース・ウィリス氏の引退に思う

2022年03月31日 | 芸能

 ハリウッドスターであるブルース・ウィリス氏の俳優引退が報じられた。

 引退の理由は痴呆症・失語症とされているが、引退自体は俳優業からだけで社会生活を含めた完全引退ではないように思われる。
 失語症の程度は不明であるが、当意即妙のスピーチが出来なくなったり、正確な言い回しが出来なくなったことであるとするならば、俳優にとっては致命的であろうが、正確な表現・語彙に乏しい自分などは、生まれついての失語症と診断されてもおかしくないが。
 ウィリス氏の老化公表は、クリエイティブな才能に恵まれ、かかりつけの主治医ではなく専属・お抱えの医師による健康観察や治療を受けていたであろうハリウッドセレブにしても、老いによる鈍化から逃れることはできなかったのかと、身につまされる思いがする。
 ウィリス氏の映画は、本邦公開作品の殆どを見ていると思っているが、私生活に関してはデミ・ムーア嬢との結婚・離婚くらいしか知らないのでウィキペディアを一瞥すると、ドイツ駐留米軍人とドイツ女性のもとにドイツで生まれ育ったためにドイツ出身となっていたが、父親はイングランド・オランダ・フランス・ウェールズ・アイルランドの血を受け継いでいるとされていることから、ウィリス氏はまさに人種の坩堝に育ったアメリカ人中のアメリカ人であるように思える。
 日本では、「ダイ・ハード」で大ブレイクするまではウィリス氏を「ブルース・ウイルス」と呼び、米国第40代大統領のロナルド・レーガン氏も「ローガン」と呼ばれていた。古くは、リンカーン大統領を「リンコルン」、ショパンを「チョピン」と呼んでいた時代もある。
 ウクライナ政府は、首都「キエフ」はロシア語読みでありウクライナ語の発音である「キーウ」と呼称することを日本に求めている。変革を嫌う外務省は「グルジア⇒ジョージア」時と同様に呼称・表記の変更に消極的とされているが、防衛省はいち早く併記に踏み切り、報道機関でも併記方式に移行しつつあるようである。

 本日の産経抄では、韓国がいち早く「キエフ⇒キーウ」に変更したのは、日本よりも地名の呼称変更が重要な政治的メッセージであるとの認識が強いためとしている。そう考えれば「竹島⇒独島」「日本海⇒東海」の主張もその認識に立っているのであろうか。
 そんなこともあってか、「ジャパン⇒ニッポン」に拘らないどころか、「日本」の読み方すら「ニッポン・ニホン」どちらでもよいとする日本では、自治体の合併や団地の命名に際して古来からの由緒ある呼称を捨てて無味乾燥な地名に変更する例が多い。
 かっては、都市名を聞けばどの都道府県かが推測できたが、平成の大合併以降は「市の名前が所在と歴史を示さない」例が増えてしまったと嘆いている。


星野哲郎氏と「なみだ船」

2022年01月30日 | 芸能

 作詞家の星野哲郎氏(1925(大正14)年-2010(平成22)年に対する讃歌である。

 山口県柳井市沖合の屋代島(現・周防大島町)に生まれ、1946(昭和21)年に清水高等商船学校(現・東京海洋大学)を卒業し、日魯漁業(現・マルハニチロ)に入社して遠洋漁船の乗組員となるが、腎臓結核のために下船、腎臓を摘出して郷里での闘病生活を余儀なくされる。
 闘病中に作詞を勉強し、1958(昭和33)年「横浜開港100年祭記念イベント」に応募した「浜っ子マドロス」が1位となり、このイベント審査員をしていた船村徹に誘われる形で上京し音楽活動を本格化する。その後、星野・船村はゴールデン・コンビとなって、数多くの名曲を世に送り出している。
 星野氏の実体験をベースにした独特の世界観は「星野節」と称され、演歌を中心に4000曲以上の詩を送り出しているが、演歌以外にもスリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ(曲・浜口庫之助」などの作詞も手掛けている。また「星野哲郎」以外にも、有田めぐむ・阿里あさみ・菅野さほ子・橘真弓・古木花江・高原美湖・くぬぎ文平・金井さち子など多くのペンネームで、星野演歌とは一線を画す作風の詩も発表している。
 星野氏は、自分の作品を演歌とは呼ばずに、遠くにありて歌う「遠歌」、人との出会いを歌う「縁歌」、人を励ます「援歌」などと称していたそうで、「歌詞は出だしの2行で決まる」を信念としていたとされるが、その真骨頂が「なみだ船(北島三郎)」と「みだれ髪(美空ひばり)」ではないかと思っている。
 北島三郎の出世作(事実上のデビュー曲)である「なみだ船(曲・船村徹)」は、1962(昭和37)年に発表されたが、冒頭の2行は「涙の終わりの一滴 ゴムのカッパにしみとおる・・・」で、大方の人やワークマンの高性能カッが当然の世代には通じないだろうが、当時のゴムカッパは5㎏近い重量があるものの、防水性・通気性が悪く、10分程度の洋上作業で汐水に塗れた感触であった。
 美空ひばりの復帰第一作である「みだれ髪(曲・船村徹)」では、「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋・・・」として、恋やつれの半年間を2行に凝縮描写している。

 「なみだ船」を知ったのは、坂出港に停泊中であった。一杯飲み屋で覚えた「なみだ船」を、タクシー代など無いために塩田沿いの道を歩きながら歌って帰艦したことを今でも懐かしく思い出す。
 また、星野氏の故郷である屋代島は、昭和18年に戦艦「陸奥」が爆沈した柱島泊地の一部であるが、星野氏は商船学校在学中であったことから目撃はされていないだろうと推測している。屋代島沖合は海自艦艇もたびたび錨泊する場所で、かっては、錨泊した艦に漁船が名産のミカンを積んで売りに来たことものである。

 最後に、前述以外の詩の一部を紹介すれば、
〇小林旭:自動車ショー歌、昔の名前で出ています
〇真木ことみ:北の一番船、さよならの駅、十年坂(曲・原譲二(北島三郎)
〇鳥羽一郎:兄弟船