立民泉代表の記者会見での発言に同党の軍事音痴振りが如実に示されていると感じた。
外交政策を問われた泉代表は、《(立民の)対話外交は「お花畑」みたいにとられるが、米国も(対話外交を)重視している》と述べたが、アメリカのみならず主要国で「対話外交」を軽視若しくは拒否している国は、ロシア・中国・北朝鮮くらいしか思いつかない。
ロシアは防衛上の緩衝地帯を得るためにウクライナに武力侵攻・欧州へのエネルギー供給を制限・ウクライナ産穀物の流通を制限、中国は尖閣海域に軍事力を展開・有償経済援助で途上国を債務漬け・レアアースの輸出供給を制限し、北朝鮮は我意を主張するために対話よりもミサイルの発射に依っているが、そこには対話の欠片すら見当たらない。
独立国家は、国連や2国間若しくは多国間の場で交渉(対話)を重ねて関係を正常に維持することに最大限の努力を図っている。一方で、他国からの無法な要求や武力恫喝を阻止するために相応な軍事力を保有している。この対話と軍事力が外交の双輪であることは常識であって、反撃・抑止のための軍事力を併せ持たない限り国家の外交は成り立たないと思っている。
泉代表は、立民の掲げる「対話外交」の正当性を訴えるために「ではの守」手法で「アメリカも重視」と述べたのであろうが、軍事強国アメリカの対話重視外交と軍事力を等閑視した立民のそれは、全く「似て非」なるものであることを忘れているように思える。
立民の云う「対話外交」を例えるならば「日本がサンドバッグ状態に曝されても、専守防衛の名の下に国民の被災にも目をつぶって無法者に対話を訴え続ける」ものであるように思う。立民と立民支持者は異口同音に「そうならないために対話する」と云うが、そうなった場合の対応については一様に口を閉ざし、更には、軍事を捨てても重視するという対話外交のためのビジョンにも口を閉ざすのを例としている。この状態を世情では「お花畑」と評するのであるが、泉代表は「なぜお花畑」と呼ばれるかを、一向に理解されていないように思える。
維新が、政権の一画に名を連ねる若しくは野党第1党となった場合に備えて台湾とアメリカに議員を派遣して両国とのパイプ作りを目指していることに対して、立民は「議員の夏休み」と冷ややかに受け止めているとされるが、政権を握った場合の「対話外交」にどのような準備をされているのだろうか。よもや秋の臨時国会での政府攻撃のネタを探して週刊誌を読みふけっているとは思いたくないが、「対話外交」準備の一端でも有権者に示して欲しいものである。