もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

銀時計考

2025年01月11日 | 歴史
 先日は、恩賜の煙草について書いた。本日は恩賜の銀時計に関する都市伝説ついてである。
 新兵教育を修了して最初に配属されたのは、米軍貸与のPF(パトロール・フリゲート1400㌧)であった。同じパートのS2曹は海軍特別年少兵(特年兵)の出身で特攻艇”震洋”訓練生で終戦を迎えられた猛者であった。そのS2曹から聞かされた都市伝説である。
 海軍の兵曹にも成績優秀で恩賜の銀時計を所持している人がおり、もし彼が帰艦時刻遅延(遅刻)を起こしても、舷門で当直士官に帰艦時刻前を指している銀時計を示せば、当直士官は時計に敬礼して帰艦時刻前であると認めたそうである。
添田唖然坊の「ラッパ節」に、
  今なる時計は八時半
  あれに遅れりゃ重営倉
  今度の休みがないじゃなし
  離せ軍刀に錆がつく トコトットット と詠われているように、帰艦時刻遅延(遅刻)は軽くて軽営倉、悪質と捉えられれば重営倉が相場であった。このことから、銀時計の威力たるや相当なものであったように思われる。
 兵曹の帰艦時刻遅延ー銀時計効果を都市伝説としたのは、調べてみても恩賜の銀時計は、陸海軍大学、陸軍士官学校、海軍兵学校(短剣)、帝国大学、学習院大学の優等者に授与されたものらしく兵曹に与えられた例が見当たらないからである。戦功抜群の金鵄勲章の副賞としては有ったのかもしれないが・・・。
 営倉の懲罰は、軍法会議には至らぬ非行に対して指揮官が独自に与えることができるもので、軽営倉は、兵食と寝具が与えられて期間は1-14日まで、重営倉は、1日6合の麦飯と水だけでおかずは固形塩のみ、寝具も無く極めて重い懲罰であるが健康を考慮して3日を限度とされていた。なお、入倉中の俸給は、軽営倉が本来の5割、重営倉が本来の2割に削減されたようである。
 営倉は、概ね部隊の中に設けられ、海軍艦艇では船倉部の暗所にあったとされている。
 なお、作家の三島由紀夫氏が学習院大学終了時に恩賜の銀時計を授与されたのは、有名な逸話である。

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