故ジャニー喜多川氏による男色被害が注目されているが、以下は古生代生き残りの戯言である。
喜多川氏の存命中には報じられることも無かったが、喜多川氏の死去やジャニーズ事務所の影響力減少もあってであろうか被害を訴える人が#Me-Too的に続々と現れているようである。
自分にとって芸能界とは虚構・虚業の世界で、そこに棲む人々の倫理観は自分の住む世界とは懸け離れた別世界と思って冷ややかに眺めているが、LGBT法案審議中という世情もあってテレビ・新聞でも大きく取り上げられている。
歌舞音曲を生業とする人々を別世界の住人と考えるのは自分だけではなく、明治期以前にあっては「河原乞食」と総称されて商売往来や人別の枠外とされ、自分の育った戦後にあっても「銀幕のスター」と呼ばれたように、スクリーン上やレコード上のイメージが全て・常人の計り知れない世界で高倉健さんや吉永小百合さんは「ウンコもシッコもなさらない」と受け取られていた。現在ではメディアの多様化によってゴシップ記事やゴシップ映像が出回る様になり、芸能人は一気に常人のレベルに引き下ろされてしまったが、それには一般人の倫理観に支配された芸能レポータの存在が大きいと思っている。
別世界や雲上人を格差の代表と眺めるのは世界的な現象で、イギリス国王の戴冠式にも古式を廃止・簡略化した市民目線が随所に取り込まれていたとされている。日本でも、不敬罪・爵位・位階勲等・貴族院の廃止はもとより、一般社会でも修験の場として一般人の立ち入りが禁止されていた霊場・霊山の解放、男性限定の私的クラブ廃止、大相撲土俵の女人禁制見直し、・・・など枚挙にいとまがない。
しかしながら、それらによって格差が亡くなったかと云えば、経済格差は拡大し、経済格差は学歴格差まで生み出しているし、欧米では非公式の特権サロンが復活して表社会とは隔絶した場所・一団が政治を壟断していると「Qアノン」は喧伝している。そんな裏事情は置いても、世の中の全てを市民感覚に置き換えることで、別世界住人や雲上人が守り通してきた先人の遺産や有職故実までも失われてしまうのではないだろうか。
浅田美代子さんのキャッチフレーズは「隣のミヨちゃん」であったと記憶している。最後の別世界である芸能界でも「一般人と区別が無いこと」、「一般人のアナタも芸能界に進める」が主流となったが、昭和期に生きたジャニー氏にあってはそんな変化は認識されていなかった、或いは考えたくも無かったのではないだろうかと密かに・ささやかな同情を禁じ得ない。
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