もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

日本型宗教「定説教」

2022年09月05日 | 社会・政治問題

 栃木県の下野市議が本年6月に行った市議会での一般質問が話題となっている。

 話題となっているのは、同性カップルの主張を栃木県が認めることで異性カップルと同様な行政上の権利を得ると定めた「パートナーシップ宣誓制度」を市が導入することに反対して、「(LGBT)の人達は)できたら静かに隠して生きて頂きたい。その方が美しい」との趣旨の発言である。
 これに対しては、茨城大の清山玲教授が「性自認を告白することで幸せになれる人がいる。他人が告白を妨げるのは相手の権利の侵害に当たり、多様性を認め合う社会づくりにもマイナスになってしまう」と指摘しているとされるのが、時流に沿った「定説」であろうと思える。
 市議の発言は議場で行われた反対意見の陳述であり何ら問題となるものではないが、このことを伝える本朝のテレビ番組のコメンテータが市議の主張を一刀両断していることには些か考えさせられるところがあった。
 我々世代の常識ではカップルは異性であるべきであり、もし自分の子や孫が同性カップルであると知った場合には、表面的には「物分かりの良い常識老人」を演じつつ、内心「何とか考え直して欲しい」・「一過性のことで、治って欲しい」と願うのではないだろうか。

 両者の言い分の何れが採用されるのが是であるかは兎も角、本日書きたかったのは「日本は無宗教・無神論者」の国ではないということである。
 些か唐突な展開であるが、下野市議会に関する報道を見て「日本には定説教」という宗教が存在しているのではないかと思った。以前に紹介した塩野夏生氏の「宗教は信じることで始まるのに対して、哲学は疑うことから始まる」の論を借りるならば、既に定説と化した「東京裁判が認めた価値観」を疑うことや見直しを主張する輩は「教義に疑問を持つ異端者で矯正すべき存在」であるという主張をしばしば耳にするからである。
 かって日本維新の会の代議士(後に除名)丸山穂高氏が北方領土返還に関して「歴史上戦争無くして領土を回復した例は無い」と発言し、「ロシアとの戦争を主張するもので憲法(定説)違反」との非難を受けたことがあったが、現在ウクライナが採っているクリミヤ回復の行動は、丸山氏の指摘そのままに過ぎないように思える。
 定説教の信者にあっては、一転の迷いもなく定説を信じることで平安を得ているのであろうが、定説を疑うことで得られる・見えてくる物も多いのではないだろうか。


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