千賀滉大投手のメッツ入団が報じられたので、改めて千賀投手の経歴を眺めた。
千賀投手は、2011年に愛知県立蒲郡高校から育成ドラフト4巡目でソフトバンクに入団した。
2010年のドラフト会議では97名(ドラフト68名、育成ドラフト29名)が指名され千賀投手の指名順位は全体では91位で、育成ドラフト制度が無かったら高校卒業後に大学や社会人野球で活躍しない限り千賀投手の野球生命は終わっていたように思える。以後の球歴を辿ると、2012年に一軍へ抜擢され初黒星、2013年にようやく初勝利と決して華々しいものではない。しかしながら、2015年に「お化けフォーク」で大化けして今や球界を代表する投手とされ、WBCや東京五輪で活躍したことは記憶に新しい。
2010年のドラフト会議の結果を眺めると、現在も第一線で活躍する山田哲人(ヤクルト)・大野雄大(中日)・柳田悠岐(SB)等が名を連ねる一方で、早大三羽烏と賑わした大石達也・斎藤佑樹・福井優也選手は既に球界を去っている。
2010年ドラフトにおけるソフトバンクの指名選手は、柳田選手はドラフト2位、育成4位に千賀投手、同5位牧原大成外野手、同6位甲斐拓也捕手であり現在のホークス黄金時代を支える選手が育成出身で、千賀・甲斐にあっては球界屈指のバッテリーとの呼び声が高いことは注目に値する。
千賀投手の母校である蒲郡高校は、小都市(人口8万人)の公立高校で甲子園出場経験もなく、千賀投手を擁した年も県大会の3回戦で姿を消しているが、その試合にはプロのスカウト3人ほどが視察したとされている。韓愈の言「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」は有名であるが、千賀投手の素質を見抜けた伯楽は、ただSBのスカウトだけであったのだろうか。
さらに、ソフトバンク球団の選手育成に関する取り組みも大きいと思う。現在、ソフトバンク・ジャイアンツと我が広島カープが3軍制を敷いて、無名であるが有望な選手の育成に努めているが、ソフトバンクは更に来季からは4軍も持とうとしている。
千賀・甲斐・牧原各選手は、数年かけて大成したが、育成契約選手に給料を払い続けても1軍昇格を果たせぬままに球界を去った人も多い。このリスクに耐えられる体(金)力と熱意が無ければ、3,4軍制度は維持できないが、千賀投手以下の成功例に倣って、全球団も3軍制を設けて若者の発掘と成長に手を差し伸べて欲しいものである。
しかしながら、昨今ジャイアンツの3軍制は若手育成として活用するよりも、FA選手獲得のための選手登録枠確保のために悪用しているとの主張も喧しい。
千賀投手は育成出身者として初のメジャー挑戦となるが、大谷・ダルビッシュ・マエケン(前田健太)に伍して活躍して欲しいものである。
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