先月射殺されていたヒグマがDNA検査で指名手配中のOSO18と確認・特定された。
検視では、体長210㎝、体重330㎏、命名の由来である足幅は18㎝ではなく20㎝であったとされている。
OSO18による放牧牛被害は60頭以上とされているので射殺は当然であろうが、自分としては酪農者には申し訳ないが「射殺は残念」である。
これは、動物愛護等の崇高な理念からではなく、単純に「お上に逆らう五右衛門や鼠小僧」に喝采した町民と同じもので、OSO18の「罠を見破り」・「警備をあざ笑うかのような神出鬼没」は、おそらく経験を知識に変える高い知能を持っていた所為であろうし、もしOSO18が知識を伝える言葉を持っていたら、ヒグマは飛躍的に進化していたかも知れない。
OSO18は、五右衛門・鼠小僧のように分限者の牛だけ狙うことや貧者に施すことも無かったが、それでも臍曲がりの自分は「頑張れ!!」・「生き延びろ!!」と内心でエールを送っていた。
OSO18の射殺を伝えるテレビ・新聞は一様に、「ハンター(猟友会)によって駆除された」と報じている。射殺と云う殺伐な響きを嫌っての自主規制と思うが、如何なものであろうか。
大東亜戦争末期には、大本営発表の「転進」は退却若しくは敗退を意味していたとされるし、「○○方面との伏字報道については記事の中にヒントが隠されていた」ともされている。今回の「駆除」報道についても、実行者がハンターであることから銃に依る射殺以外は考えられないが、真実を読者の判断に任せるのは適切ではないのではないだろうか。また「駆除」はゴキブリやシロアリ退治に使用されるように、将に「虫けら」扱いの意味合いが強く、相当な知能(悪知恵でも)を持った害獣に使用するのは如何なものであろうか。
殺伐な言葉の言い換え・ソフト化は他にも「鎮圧」⇒「排除」の例がある。鎮圧には強権的は響きや武器装備使用の響きがあるが、排除は比較的に穏やかに推移したとの響きを持っている。映像では屈強な兵士や警官が時には催涙弾や放水車を使用しているのに「排除」が真実を伝える正しい言葉であろうか。そのうち警官による無法者射殺も、駆除若しくは排除が使用されるようになるだろうか。
知能の高いOSO18は、死に臨んで「・・・浜の真砂は尽きるとも・・・」と辞世したのであろうか。
ご自分でも自覚されておられるように「へそ曲がり」のようですから、このような感想を持つのかなと感じた次第です。
その上で放牧牛を食い殺された農家の気持ちをどうお考えなのでしょう?
やはり今回のケースは「良かった」と素直に喜ぶべきではないのでしょうか。
手付かずの知床半島以外は原生林を伐り倒してリゾート開発が進み熊の縄張りに人が入り込んでしまったのが現状です。
しかも北海道の土地を中国人が買い漁っているので今後環境破壊は加速します。
おはようございます。
御叱責と御忠告に感謝いたします。
齢すでに健康寿命が尽きた今では困難かとも思いますが、常識的な思考に努めます。
ご指導に感謝いたします。
貴兄の活動を併せ考えても動物と人間の営みの相剋は永遠のテーマと思っています。
生まれ在所では、蛋白源として狩り尽くした終戦後にはイノシシの棲息などは噂にも上らなかったものの、現在では農作物被害に困っているそうですが、何れが正しい・あるべき姿なのか論が分かれるのは避けられないように思えます。