安倍晋三総理・総裁が健康不安から辞任を表明した。
歴代最長の在任期期間内に、憲法改正と拉致問題については捗々しい進展を実現できなかったものの、外交・経済では一応の成果を挙げ、限定的ながら集団的自衛権の行使容認に転舵し得たことは評価すべきであろう。自分にとって驚きであったのは、テレビの街の声で不惑を超えたであろう男性が安倍総理の功罪に「モリ・カケ・サクラ」を挙げていたことである。一国の指導者の功罪が外交・防衛・憲法等の国政の根幹に掛る評価でなく、矮小とも思える倫理違反疑惑であったことである。当人にとっては倫理観こそが至高・絶対の価値観であるのかも知れないが、狭隘な思考に縛られている不惑男性がいるのは決して望ましいことではないと思う。倫理観呪縛からバランス感覚を備えた大統領を罷免し似権弁護士に国家を託した結果、友邦を失って全体主義国家に膝を屈しつつある隣国をなぞっているように感じられる。既に政局(政争)は後任総裁・首班選びに移って、石破・岸田・河野・茂木・菅の各氏が取り沙汰されているが、いずれも帯にも襷にも短い人材であるように思える。安倍1強とされたのは強力なライバルが存在しなかったためであり、多くの政治家が安倍総理のライバル足り得かった理由は、安倍総理が後継総裁の要件として「ビジョン・責任感・情熱・チーム力」を挙げたことに尽きると思う。知名度の高い石破氏を短命の選挙管理首班にとの見方が囁かれているが、そんな一時凌ぎを画策するよりも、一挙に小泉進次郎氏を総裁として「戦後政治のレジーム」を図る方が国家百年に資するようにも思える。何故なら、安倍総理も後継総裁の資質として「経験」を挙げずに「ビジョンと情熱」に置き換えているからである。ともあれ、有力視されている5氏の中にあって河野太郎氏だけは短命であっても総裁・総理には相応しくないように思える。
突然の総理辞任で、後継者について触れることになったが、本日書きたかったのは枝野新党の政治姿勢であった。枝野新党の綱領案に記載された「原発ゼロ」に反発した電機労連等が玉木新党支持を表明したことに対して枝野氏は、連合の神津里季生会長との会談で改めて枝野新党支援の一本化を要求した。席上、神津会長は支援一本化調停のために、「原発ゼロ」という直接表現は避けること、立憲が国会に提出した原発ゼロ法案の見直し、選挙公約での「丁寧な表現への置き換え」を要求したが。これに対して枝野氏は、「指摘はしっかりと受け止めながら、我々が目指す社会を実現する」と述べたと報じられているが、実際は「原発ゼロという方が得られるものが大きい」という表現であったとされる。枝野氏にとって「原発ゼロ」は理念ではなく集票のための手段・標語であることを認めたもので、羊頭狗肉の極致と云える。武漢コロナ対処にGDPの半分を使い果たし、お得意のバラマキ公約ができない今、縋れる唯一のお題目は「原発ゼロ」しかなく、苦肉の策で狗肉を掲げざる得ない台所事情に依るものであろうが、前述の”不惑男性層”には有効であるという小沢一郎選挙参謀の提言に取るものであろうか。脱原発が消費税率10%など足元にも及ばない負担を国民に求めるものであることも狗肉の一環として伏せられたままである。
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