ブログ休載中に起きた慶事の一つが、蓮舫氏の凋落である。
蓮舫氏は、小池都政の長期化に加え、折から吹き荒れていた自民党のパーティー券問題から勝算ありとしての、都知事選立候補であったと観ている。
選挙運動期間中における観測報道は小池氏と蓮舫氏の一騎打ち・伯仲であったが、結果的に蓮舫氏(130万票)は小池氏(290万票)にダブルスコア以上の大敗、更には石丸伸二氏(160万票)の後塵をも拝した。
自分は、蓮舫氏の敗因は多岐に亘るであろうものの、突出しているのが彼女の「独善的言行が有権者の忌避を誘引した」ことであると思っている。これまで蓮舫氏が国会内でそれなりの地歩を維持してきたのは他党・政敵への容赦ない攻(口)撃・批判の巧みさのみで、国家観や国策に関しての識見・卓見やまして人望の故では無かったと思う。
立候補表明以降、ネットを中心とした「批判ばかり」の大合唱に、「批判ではなく提案と受け取って欲しい」と火消しを図ったものの、キャッチフレーズに掲げた「小池都政のリセット」の一人歩きは止めようもなかった。「リセット」とはWeb辞書にも《すべてを元に戻すこと。最初からやり直すこと。また、状況を切り替えるために一旦すべてを断ち切ること》とあるように、小池都政の全否定であり批判の極致であるように思う。現在の電子機器の「リセット」には、完全初期状態にではなく指定する時期まで戻すような機能もあるので、善意に解釈しても「リセットさせる特定の時期」を表明する必要があったのではないだろうか。それとても、歴代の猪瀬・石原時代にか、青島時代にかで大きく内容は変わってくる。まさか美濃部時代・後藤新平時代ではないだろうとは思うものの、若者を中心としたIT・スマホ層にとってリセットの語感は強烈に作用したのではないだろうか。
次いで大きいのは、「100億円規模の都営事業」の見直しであると思う。民主党政権誕生時に行った事業仕分けが一定の評価を挙げたとの認識の下に「二匹めの泥鰌」を狙ったものであろうが、これすらも事業仕分けが全く成果を挙げなかったという客観的分析を受け入れない独善気質と受け取られたのではないだろうか。
蓮舫氏は、来る参院選に捲土重来・国会に再登場することもあり得るとは思うものの、約1年間、彼女の「独善」・「的外れのプロパガンダ」に接することがないのは、自分にとって精神安定剤以上の効果を持つ慶事であると同時に、氏の再登場がないことを心から願っている。
「小池氏・蓮舫氏の支持拮抗」と報じたメディアの功罪については日を改めて推論を開陳したいと思っている。