衆院選での自民大敗についての所感を忘備録として残したい。
勝負の世界では「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と云われるが、大敗を招いた必然の理由があり、その最大の要因は、石破茂氏の総裁選出であると考える。
海上幹部同士の居酒屋談義の席では、上司の人物評価に学歴・階級を置いて俎上の人物像を「指揮官型」「研究者型」と類型的に分類することが多い。指揮官型とは、判断力や決断力に優れ何よりも統率力があり所謂「付いて行きたい」と思う人物であり、研究者型とは知識は十分ながら熟考・逡巡して変化に即応できない人で、謂わば「上司にしたくない人」を指す場合が多い。
思うに、石破氏は典型的な「研究者型」である。何よりも石破氏の持論である「東南アジア版NATO」・「日米地位協定の改定」・「北朝鮮連絡室の開設」は研究テーマとしては有り得るものの、国際情勢の現実から乖離した空論に過ぎないし、極論するならば3要件共に中国を利するものに他ならない。
「東南アジア版NATO」は、兵員数と携行兵器(弓矢)の多寡が帰趨を制した春秋戦国時代には有効であった「遠交近攻」による中国牽制の現代版と云えるが、現代の集団安全保障は核を中心に構築されており、核はおろか海外出兵・殺傷兵器の供給すら覚束ない日本が提唱する集団安全保障の枠組みに参加する国はないであろう。また1954~1977年に存在した反共軍事同盟である東南アジア条約機構(SEATO)の焼き直しともされるが、イデオロギーよりも経済的要因が重視される現在にあっては、古色を帯び過ぎて各国は二の足を踏むものであるように思う。更には、加盟国でない中国がASEANを意のままにしている現実、東南アジア各国の政権中枢で「米中が破局的に対立した場合は中国を支持する」という国が過半数以上と指摘する米シンクタンクの研究、等を分析すれば研究テーマに過ぎないことが理解できるだろう。
研究者型の怖いところは、自論こそ正しいと狂信的な自己陶酔に陥ることにあると思う。石破氏とその自論が研究室に留まるならば許せるが、権力と結びついた時には極めて危険で日本を危殆の縁に導く危険性すらある。施政方針演説で3要件共に触れ無いにも拘らず、「東南アジア版NATO」と「北朝鮮連絡室の開設」については関係閣僚に準備を指示したと報じらる等、有害・危険な指導者になりつつあるように思える。
総裁選においては、党員党友票、第一回議員投票共に石破氏を凌駕した高市氏を置いて、決選投票で石破氏が当選を果たしたが、国会議員諸氏は何故石破氏を選択したのだろうか。
思うに、志操堅固で政策立案能力に秀でた高市氏に比べれば石破氏の方が「与し易し」と判断したものであろうと推測する。慧眼の安倍氏が過去において石破氏を主要閣僚に任命しなかったのは、石破氏が研究者型にしか過ぎなく、国家の経綸に参画するに相応しくないと見切っていたのではないだろうか。しかしながら、安倍氏と云う重石の取れた議員諸氏は国家よりも、小物で「与し易し」「神輿は軽い方がよい」という安易な選択に奔ったように思えてならない。
明日は、衆院選の戦術についての考察を残したい。