開戦の日に当たって、大東亜戦争の呼称についての私見を記すこととした。
云うまでもないことであるが、『大東亜戦争』の呼称は、真珠港(湾ではない)攻撃から4日後の1941年(昭和16)年12月12日に閣議決定したもので、日本の戦略目標を端的に示したものと思っている。
しかしながら、戦後の占領時にGHQが「大東亜戦争」の呼称を禁止して「太平洋戦争」と呼ぶことを強制するとともにメディアに対して検閲を行ったことから、次第に太平洋戦争という実態の伴わない呼称が定着した。GHQの企図するところは、日本の軍国主義潰滅以上に戦場を太平洋限定と匂わせる呼称として「極東軍事裁判(東京裁判)」において主導権を握り、かつ以後の世界戦略として共産主義ソ連と向背定まらぬ内戦中の中華民国の発言力低下を企図したものと考えている。
1952(昭和27)年のサンフランシスコ講和条約で独立を果たし禁止措置の効力は無くなったものの、独立国家としては屈辱的な置き土産である憲法・東京裁判判決とともに大東亜戦争の呼称も正されることは無かった。GHQの強制・検閲で筆を捻じ曲げられたメディア・識者も、7年間で飼い馴らされたのであろうか、筆を戻す以上に現在に至るまでむしろ嬉々として置き土産を神託化さえしている有様に思える。
東洋学園大学の櫻田教授は武漢ウィルスに対して《呼称は使い続けることが大事で、改称は物事の本質を風化させる》と述べておられるが、猛威を振るった中国コロナも発生から5年が経過した今、その発生源が中国・武漢であることは忘れ去られようとしている。
大東亜戦争の呼称も同様で、戦争目的に対しての賛否は別にして、正しい歴史認識のためにも大東亜戦争の呼称は使用し続けなければならないように思う。
20年後、ビルマの竪琴を読んだ子供から質問「太平洋で戦争していたのに、何故水島上等兵はビルマにいたの?」
些か旧聞に属するが、陸上自衛隊32普通科連隊がSNSに「大東亜戦争」と書いて批判を浴び、防衛省・陸幕の指導で削除させられたことがあった。
現在の政府見解では、「大東亜戦争」・「太平洋戦争」とともに定義に関する法令上の根拠はないとしており、上記の事案に対しても官房長官が「大東亜戦争という用語は現在一般に政府として公文書で使用しなくなっている。いかなる用語を使用するかは文脈にもよるもので、一概にお答えすることは困難」と述べているところから、表現の自由と捉えられるべき程度と思えるので、防衛省・陸幕・批判メディアともに過剰反応したものと捉えたい。
そういえば、三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言に過剰すぎるほど反応して失笑を買った議員もいたように記憶している。