昨日は、自民大敗に至る戦略過誤についての私見であったが、本日は選挙戦術についてである。
古来「戦略の過誤は戦術では補えない」と云われているが、今回の選挙戦では戦術もまた稚拙であったように思う。
以下は主として、時折に見た政見放送とTVの政治討論からの印象であるが、自民党は、その全ての場において「ひたすらの贖罪」であったように思える。現在の世相を観ると、メディアを含んで全てが「減点主義」であるために、自民党は逆風・減点を少しでも減らそうとの戦術を採ったのかもしれないが、攻撃は最大の防御とされるように、パーティ券という相手の土俵に上がって戦えば、脛に傷持つ自民が負けるのは当然で、戦術的には野党の苦手とする憲法(緊急条項新設)、防衛、財源問題という自分の土俵に相手を引きずり込むという手法もあったように思える。
良い例が、斎藤元彦氏の兵庫県知事再選である。選挙運動においては、通り一遍の謝罪は有ったであろうが、それ以上にSNSを駆使して実績をアピールする傍らで、パワハラ・おねだり疑惑はメディアの過熱という情報を発信し、拡散し得たことが再選に繋がったとされている。
自分も誰かさんが云う「劣等民族」であるが、確かにパーティー券のキックバックを政治資金報告書に記載しなかったのは政治家としての愚行であるとは思うものの、いま石破総理以上に防衛オンチの立憲共産党に政権を渡すことは、漸くに緒に就いたばかりのインド・太平洋地域の安定構想が胡散霧消しかねないと思うので、これまで通りに投票した。
総裁選挙において党員党友票の多くが高市氏に投票したのも同じ思いからであろうと考えるので、保守志向層のみならず無党派層に対しても、丁寧かつ熱意をもって中国・北朝鮮の脅威と自民党政権がこれまでに行った自立・独立の実績と計画を説けば、選挙結果において幾ばくかの変化を勝ち得たのではないだろうか。これも偏に、総裁選の決選投票で党員党友票の多寡が示す「民意」を読み解き戦術として採用できなかったことに起因していると思う。
文中「現在の世相は減点主義」と書いた。昨今は、如何に成果を挙げた人でも僅かな躓きで全てを棒に振る例を良く目にするようになった。コンプライアンス・ハラスメントに絡めとられた生き方は、文明の深化であるとされれば反論の余地はないが、古き良き時代の挿話を二つ。
《1981年から95年までフランスの大統領だったミッテラン氏には隠し子(公然)がおり、大統領就任直後に一人の記者が隠し子について質問した。彼は平然と「それがどうかしたか?」と聞き返し、それきりとなった-産経抄から》
《昭和41年に佐藤内閣の運輸相に抜擢された荒舩清十郎氏は、ダイヤ改正時に国鉄に要請して自分の選挙区の深谷駅を急行停車駅に指定させたために世論の批判を受けたが、「急行を止めて何故悪い」
と嘯いたとされる》