「人斬り」を描こうと決めて2か月も経ってしまったが、怠惰な自分ではまァまァであろうか。
さらにタイトルも「人斬り彦齋」と改めることにした。
幕末4大人斬りの一人とされる熊本藩士河上彦齋(1834(天保5)~1872(明治4)年)は、身長5尺(150cm)の小柄で色白であったため一見女性の様であったとされる。平生は礼儀正しく温和ながら平気で人を斬る残忍性も併せ持っていたために「人斬り彦斎」、「ヒラクチ(蝮蛇:マムシ)彦斎」と綽名されていたそうである。斬った人物で確実なのは佐久間象山だけとされるが彼の性格や逸話の多さから人斬りを恒常的に行なっていたとされる。
彦齋は、16歳で藩主邸の茶坊主として出仕したが、清河八郎等と交わるうちに尊皇攘夷思想を得て還俗、熊本藩親兵となり宮部鼎蔵らと同格の幹部となった。多くの幕末志士が藩籍のまま行動すれば藩主・親族に迷惑をかけると脱藩して活動する中で、彦齋は脱藩することなく終生熊本藩士であり続けたとされる。
明治維新後も熊本藩士として活動していたが、排外主義的な鎖国攘夷を主張・行動し続けたために疎まれて明治3年に捕縛・江戸送りとなり、明治4年12月4日日本橋小伝馬町にて斬首された。
さて、名画?「人斬り彦齋」では柄巻きに趣向を加えた。一般的な柄巻きは、滑り止めの「鮫皮」を続飯(そくい:飯粒で作ったのり)で接着し、その上に柄糸を巻くのが基本的とされているが、一説によると暗殺者は柄糸で滑ることを恐れて鮫皮のままであったとされている、さらに推測するならば、柄に凹凸があった方が更に握り易かったであろうことから、全面鮫皮を貼るよりも紐状にして巻いていたのではと思って、目の粗い組み方に変えた。
今後、名画?「人斬り彦齋」は目に触れるところに掛けて粗探しの後に手を加えることになるのだが、妻の目からは縁遠い場所を指定されるだろうことは確実な運命と思う。
「人斬り彦齋」(F10号)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます