沖縄市長選でオール沖縄系候補が敗れ、平成28年以降の首長選で1勝8敗となった。
米軍基地撤去で結束していたオール沖縄の連敗には、北朝鮮の脅威が顕在化したことに加え、米軍基地依存型経済に代わる地域活性策を提示し得なかった結果であろうと推測する。ポピュリズム全盛の現在では、耳触りが良いだけのキャッチフレーズでも一過性の勝利を得ることが可能であるが、勝利後に現状とキャッチフレーズのギャップを埋めることができずに衰退することがまた証明されたことになる。キャッチフレーズが華々しければ華々しいほど与えられなかった時の失望感は大きく、過去にも民主党政権の誕生、希望の党設立時の熱気、大阪維新の会の躍進等々の事実があったが、いずれも短期間に衰退して禍根をのみ残す結果に終わっている。歴史上には、カエサル、信長、ヒットラー、田中角栄のようにキャッチフレーズで民心に夢を描かせた後にその夢を眼前に披露し得た指導者がいたが、その実現には10年以上の時が必要であった。しかしながら現在では民心が夢を抱き続ける得る時間が極めて短かくなっていることは間違いのないところであると思う。各政党の綱領や主張には究極の目標は掲げられているもののロードマップと実現までに国民が耐え忍ぶべき事柄が全く書かれていないため、選挙民は「正論ではあるが、そんなことが実現可能なのか?」と疑い、夢にまで発展しない。オール沖縄についても究極の目標は米軍基地の撤去としながらも、当面はカジノ特区の招致による地域の活性化・経済構造の改革というロードマップを掲げて行動していたならば、尖鋭なオルグの支援は得られなかったであろうものの民心は離れずに命脈を保てていたかもしれない。
昨日は羽生結弦選手の凱旋パレードが仙台で行われた。そこには、向こう数年間には何が起こっても不思議でない我々世代が、4年後のオリンピックでの雄姿を熱く期待する姿が報じられていた。夢を持つことは人間だけの特質であろうし、明日の夢を持ち続ける限り今日の苦難に耐えられるのではないだろうか(将に演歌の世界との非難を承知の上で)。
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