福田次官の辞任が閣議で承認された。
野党を中心として、次の目標は麻生財務大臣と安倍総理の引責辞任としている状況下で、麻生大臣引責辞任の要否を問う産経新聞の世論調査結果が報道された。全体としては要否が拮抗しているものの、辞任不要とする意見が若干上回っている。驚いたのは、辞任が必要とする意見は高齢層ほど高く、60代以上に至っては23ポイントもの大差で辞任が必要と感じていることであり、逆に20代以下では44ポイントもの大差で辞任不要としていることである。議院内閣制下における官僚の登用方法に関して十分な知識があり、部下に対する監督責任の限界を経験的に痛感しているであろう高齢層が辞任を要求し、部下の不祥事は上司の責任と短絡的に断じるであろうと思っていた若年層が、極めて常識的な判断を下していることに驚くとともに、自分を含めた高齢者の判断基準は何なのだろうかと大きな戸惑いと反省を感じた。”キレル老人”が取り沙汰されて久しいが、辞任が必要と判断した背景には堪え性が無くなるとともに新聞テレビのコメントを漫然と鵜呑みにして”キレタ”ことが有るのではないだろうか。社会が高齢者に求めることは、世の事象や騒擾に対しては一歩身を引いて本質を考察し、見極めをし、社会に対し”常識的な提言”をすることではないだろうか。落語の世界では「小言幸兵衛」が的外れな怒りと小言を連発して周囲から嗤われ・嫌われ・孤立する場面が多いが、今回の世論調査から現在でも多くの高齢者が小言幸兵衛化している現実を示しているのではないだろうかと不安に感じた。前にも書いたことであるが、今回のセクハラ騒動の本質は個人の資質、官僚の昇進方法、取材方法、メディアのガバナンスに起因するもので、大臣の適格性とは何ら関係なく、ましてや内閣支持率を判断する材料にすべきものではないと思うものである。
高齢者と雖も世の不条理に怒ることは重要であるが、怒りはメディアに誘導されたものではなく、情報の根底を考察して自分なりの価値基準の基に到達した主張に立った怒りであることが重要であると思う。今回の世論調査の結果からは「考える老人」の姿が見えないとの反省を込めて。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます