あまりの暑さに思考回路も、感情の抑制もきかない。些細な事には、あまり腹を立てない
だが、やはり4回されると切れてしまう。
それは、先日子供の用事を済ませた帰りの事である。
用足しに時間がかかり、昼近くになったので、たまには外食でもしようかと、とある全国チェーンのうどん屋で、冷やしうどんを食べる事にした時の話である。
店内は凄い行列で、従業員の方も熱いなか一生懸命に働いてみえた。このお店は、いつ来ても同じ人がだいたい働いている。てことは、定着率がいいのかな?などと思い
も子供と2人で列に並んだ。
バイキング形式と言うか、カフェテリア形式と言うか、トレーを取り順番にレールの上をトレーを動かす形式なのだが・・・。
ここまでは前置き。さて、注文口で注文して、うどんをトレイに乗せてレールをすべらせその間に自由にトッピングを皿に盛るのだが・・・トッピングは別料金だ。
まず注文を終えてから、わたしの横に70歳位のおばさんが並んだ。私の右横(進行方向→)は子供だ。そして、そのおばさんが左横。子供の先にも人が会計口までずっと並んでいる。
何故かそのおばさん私を押すのである。軽く肘で押すのだ。
「なんだ、このおばさん 」と1回目は軽く思った。
私と子供がトレイをレールに乗せると、そのおばさんがトレイで私のトレイを横から押すのである。
あわゆく子供がトレイとトレイの間で指を挟みそうになった。
なんちゅー勝手なおばさんだ!ここでも、ままよくある事だなと軽く流した。
次に、こんどはトレーでは無く、また私に近づいてくるのだ。早く進めと言わんばかりに。
先が詰まっているから、進みようが無い・・・。幾ら列が込んでいても、人と人とは暗黙の距離が出来る。それは、お互いに不必要な争いを避ける為の本能的な働きだ。
おそらく若い女性に、見知らぬ男性がこんな時に近づいたら、痴漢か変質者に間違えられかねる状況だ。
今回は、わたしにおばさんが必要に近づいて来るのだ。どうやら、そのおばさんの少し離れた所(隣)に旦那らしき人もいたのだ。
これで、3回そのおばさんから必要に、早く進め攻撃を受けた私・・・。しかし、先が込んでいるからどうにも進めない。そうこうしている間に、私と子供のトレーに注文したうどんが置かれた。そして、進んで次はトッピングゾーン。
私と子供は、別にトッピングには興味が無いので、じっとその先の会計ゾーンに進むまで、トッピングゾーンの前で待っていた。事件はそこで起きた。
なんと、そのおばさんが、腕を伸ばして、私と子供のトレイの上を通過する形で、子供の前にあるトッピングを取ろうとしたのだ。
私は、自分のうどんにそのおばさんから、落ちる糸くづが入るのを見た・・・。
さすがに、切れた。これで、4回目。
「いい加減にしてくれよ、さっきから!!」
「先が詰まってるんだから進め無いだろう!」
「混んでる時はあせってもどうにもならないよ」と。
かなり優しく言った。
「あら、すみません」とそのおばさんは答えたが・・・・。
腹の中は煮えくりかえった。どうみても年金受給者。
無いお金をやりくりして、借金までして国民年金を払った事がある。
そのお金で、おまえらは生きていられるのだ!!
順番に列に並んで、見ず知らずの人に迷惑をかけないで待てないのか?
そりゃーね、トッピングがもう無くなりそうなら、まだ話がわかる。しかしそんな気配はみじんも無い。だいたい席だって、まともに空いていない状態だった。
そんなおばさんほど、自分の事を棚に置いて、私の悪口を一週間くらい言い続けるのだ。
そして、さも自分の正当性を訴えて、被害者を装い訴えるのである。
日頃どれだけ、良いおばさんを演じていようが、こんな些細な事で人は試される。
人は、些細な3大欲にその本性が見え隠れするのです。
今、日本に住んでいて、食べる事に対してはかなり基準が厳しくなっている。
この記事を読んで下さる方だけにお教えします。こんな安い値段で、一時の空腹を満たす事のできる時代はかつてなかった・・・。
だからこそ、その時の思いが計られるのです。
安い値段で食材を供給できるのは、沢山の人々と自然の犠牲があって初めて可能な事です。
その場に来ている方々の事を考えましょう。自分さえよければいい。自分の食欲が満たされればいい。自分の家族の食欲が満たされればいい。それでは、残念ながら許されない段階まで来ています。
どうぞよくよく考えてください。
多くの犠牲で、あなたの今の食欲が満たされている事を。少なくとも、見ず知らずの他人に配慮する心が無いと、もうそこまで迫っている大波を乗り越える事はできないでしょう。
お金を払っているからサービスを受けてあたりまえでは無いのです。
サービスを受ける側は、同じ船(今回の話は同じ店内)に乗り合わせている自分以外の他者の事を思いやる事です。
あなたが大金持ちであろうが、あなたが貧乏であろうが関係ありません。うどん一杯は280円なのですから。
来年はどうなるか・・・こんな時代は長くは続きません。だからこそ、その一瞬一瞬が大切だと思うのです。
誰かが犠牲になる。自然を含めての話ですが、犠牲者を求めて地球を1周する事になる。
それが、今の文明であり日本の食の在り方です。
ならばこの先どうなるか? 答えはもうすぐそこまで来ているのではないでしょうか。