東電に賠償免責の適用ない 福島第1の補償で官房長官
枝野幸男官房長官は25日午後の記者会見で、巨大な自然災害などの場合に電力会社を免責する原子力損害賠償法(原賠法)の例外規定が福島第1原発の事故で東京電力に適用される可能性について「社会状況からありえない」と明言した。
福島第1原発事故に関わる国による補償は、国と東電の契約の上限の1200億円にとどめ、上限を上回る賠償責任は東電が原則として負うことになる。
原賠法では「異常に巨大な天災地変または社会的動乱」の場合は、原子力災害に対する東電など原子力事業者の賠償責任を免除し、国が負担する免責条項を定めている。
政府内には当初、今回の地震と津波は「未曽有の大災害だ」として免責を適用することも検討したが、各地で放射性物質の検出が相次ぎ、東電が賠償責任を免れるのは「国民感情からも受け入れられない」(財務省幹部)と判断した。
東電が補償しきれない場合は、国が財政投融資で東電に融資する案や、金融機関から東電への融資に政府保証を付ける案が出ている。
以上は47ニュースさんからの引用です。
よくポジティブ思考とかネガティブ思考とかいわれるが、本来はどちらも無い。
表に出ているか、裏に押し込められているかの違いだけ。
エネルギー的には、中和される。
ポジティブ思考だけで生き切る事も出来ない。また、ネガティブ思考だけで生き切る事もできない。
ただ、不特定多数の人に絶対的な悪影響を及ぼす事だけはさけなければならない。
始めから、「直ちに健康被害が出ることは無い」と言っているけどね。
(時が経てば、何が原因だったかなど立証不可能。私がそうであったように・・・。)
法律は、立案者を保護するために考えられている。
元は違ったかもしれない。しかし、利権が生まれ、癒着が生まれれば、保護するべき対象を変える事も可能だ。それを解釈と言う。性善説とは性悪説の仮面。
「今の公共料金の加算制度はどこまで信頼できるか?そのすべての考えの基本は性善説であり、性善説の概念が崩壊した社会において、その加算システムに疑問を抱かなくてはならない。そもそも、性善説とは性悪説の仮面である事を知るべし。」と以前書いたけど・・・。
最後は、税金あるいは税金に近い手法が使われる。それも意図されていたからだ。
未熟な科学技術を否定する事は、地球環境を守る事であり、国の未来を同時に守る事にも繋がる。(未熟と書いたのは理論値では計り知れない誤差がかならず生じる)
みな大きな、大きなポイントを忘れている。
どんなに学問を積んだ人も、小さな子供も、決める瞬間は、ONかOFFだ。
権力者は机上の理屈。
現場に行き、実際に放射能と戦っている人々と共に、最後まで作業をしたならば、決して原発を存続させはしないだろう。
判断を下す権限を持つ者はいつもモニターごしだ。
そりゃ、その人がすべてを見通す目と心を持つならば、まだ多少は納得が行くがね。
こうやって書き殴っている私も、若い頃は少しは文明の恩恵を受けた・・・。
だからこそ未来を想像する・・・(妄想に近いのだが)を続けているのだが。
ちなみに今はソーラーライトも手に入らない。
震災の前は見向きもされない商品だったのに・・・。
現れ方は違えど、人は人。我先に買い物をする姿は、政治家も権力者も心根は同じだ。
そんなに遠い日ではない。皆、扉の向こうへ行くのだから。
扉の向うは、相対ではない。絶対の世界。
そこは、残念ながら言い訳も通じない。あるがままの世界だ。その視点を忘れてはいけない。
地位や名誉など簡単に捨てられる。
ただ、残念ながら、あるがままの自分は決して捨てることが出来ない。