◇2009年 全盲の高校3年生、挑戦
◇めの みえる どーきゅーせいと まなぶ しんゆー だいがく しんがくの ゆめ
大阪府守口市にある府立芦間(あしま)高校。昨年11月、校舎2階の総合学科「3年4組」の教室。窓側の席で全盲の多田悟司(さとし)君(18)が、目の見える生徒34人とともに「現代文」の授業を受けていた。
「今日から近代日本文学史に入ります。プリント持ってますね」。教壇に立つ萬田久美子教諭(58)が生徒たちに問いかける。多田君の一つ前の席にはサポート役の船本真理教諭(50)が座っている。2人の教師はともに国語担当。船本教諭の役割は、黒板に書かれた内容を多田君に口頭で伝えることだ。
授業が進む。「グラフがあって、横軸が時代(の流れ)です」。船本教諭は、板書の文字だけでなく、グラフや図形も多田君が頭にイメージしやすいように伝える。多田君には、墨字(すみじ)(一般の文字)のプリントを点訳した専用冊子が用意されている。机の上にその緑色の冊子を置き、点字を指で読む。点字で記録できる機器を使ってメモも取った。
同校では、英会話が中心の英語以外の授業で、同じ教科担当の1人が授業を補助する体制を整える。級友が板書を読み上げてくれる時もある。体育でも伴走の友だちの肩を持って走るなど、すべての学校行事に多田君は参加する。
◇ ◇
多田君は同府大東市で父潔司(きよし)さん(53)、母雅代さん(52)と3人暮らし。1歳3カ月の時、小児がんの網膜芽細胞腫と診断された。右目の摘出手術を受け、左目の視力も次第に失い、2歳を前に全盲になった。
点字との出会いは5歳のころ。京都ライトハウス(京都市北区)の幼児教室で遊びを通して学んだ。「おおらかで積極的な性格」(両親)の多田君は、障害のない子と育ち合う統合教育を望み、幼稚園、小学校、中学校と大東市立の公立学校で学んだ。
◇ ◇
芦間高校での昼休み。多田君は親友の篠田拓也君(17)らと昼食を取った。おにぎり2個。「食べやすいから」と多田君。2人は1年生の春の宿泊体験で話し出すようになり、ある日、学生食堂で多田君の食事を篠田君が運んでくれたのをきっかけに仲良くなったという。篠田君の多田君評は「声が大きく、おるだけで周りが明るくなる」。多田君も、インターネットで視覚障害者のサポート方法を調べる「しのっち」(篠田君)に、厚い信頼を寄せる。
多田君は今、大学進学を目指す。点字を使って学んできた高校生活を振り返って語る。「点字のなかった時代は、どう情報を得ていたのだろうと思う。点字はすごい。あって本当に良かった」【遠藤哲也】
◆
「地域の学校で学ぶ視覚障害児(者)の点字教科書等の保障を求める会」(連絡先info@motomeru.sakura.ne.jp)元代表の野々村好三さん(34)=京都ライトハウス勤務、全盲=によると、地域の学校で学ぶ全盲の児童・生徒は全国で40人を超えている。統合教育が進む関西では受け入れ態勢が比較的整っているが、全国では格差があるのが実情だ。
◇生きるヒント「点字力」--国立民族学博物館・広瀬浩二郎准教授
ブライユ生誕200年を記念し、国内外で今年、さまざまな催しが開かれる。国立民族学博物館(大阪府吹田市)では今年8~12月、記念展を計画している。企画を手掛ける同博物館民族文化研究部准教授で全盲の広瀬浩二郎さん(41)は、閉塞(へいそく)感の漂う21世紀の社会で、点字の秘める力に打開策を見いだす。広瀬さんにブライユ点字の意義などを聞いた。
--ブライユ生誕200年の意義とは。
◆私は中学1年の時に完全に視力を失い、点字を使うようになった。触る文字を通して、人間観や世界観を作ってきた。
音声で読み上げる機能付きのパソコンが高校生のころから登場したが、今も論文の下書きなどでは点字を使っている。じっくりものを考える時、点字に勝るものはない。
しかし、視覚障害者の間でも特に若い層で点字を読まない「点字離れ」が進んでいる。携帯電話やパソコンで音声を聞くようになっている。
点字が300年、400年と残ってほしい。今年を点字の価値、視覚障害者文化を再認識するチャンスととらえたい。
--広瀬さんは、21世紀を生きるヒントとして「点字力」を唱えている。「点字力」とは。
◆社会には目の不自由な少数者がいる。彼らの点字も立派な文字なのだから、その価値を認めてあげましょうというのが、これまでの点字の一般的な取り上げられ方だ。教育では優しい心を育てる素材として使われてきた。これを全否定するのではない。しかし、障害者=弱者という見方ではなく、もっと違った点字のアピール方法はないかと考え、「点字力」をキーワードにしたいと思った。点字力とは「したたかな創造力」と「しなやかな発想力」だ。
--具体的には。
◆フランスの軍人が考案した12点点字は、1文字を判別するのに指を縦方向にも動かす必要があった。これに対して、ブライユの6点点字は、指先を左から右へ動かすだけ。わずか六つの点で63通りの組み合わせができ、仮名も数字もアルファベットも表せる。
物質的に豊かな現代は、ものを増やす発想が強い。逆に、12点から半減したブライユ点字は、少ない材料で多くのことを表現できることを示している。「したたかな創造力」を秘めている。
また私たちは生きるうえでどうしても常識にとらわれる。しかし墨字(一般の文字)を線に沿って凸凹にした「線文字」から「点」へとコペルニクス的転回をした点字には、常識をポンと飛び越える柔らかさとたくましさがある。「しなやかな発想力」は特に子どもたちにもってほしい。
--視覚障害者に対する社会の意識は。
◆点字を使っている人が視覚障害者だという単純な位置づけではなく、「点字力」を持つ人が視覚障害者だと位置づける。これまでのマイナスの障害観をプラスのイメージに転じたい。
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◇六つの点で50音表現
点字の六つの点を、図のように、1の点~6の点と呼ぶ。
点字の50音は、原則、1、2、4の点を使う「あ、い、う、え、お」の母音=(1)=と、3、5、6の点の組み合わせで表す。「か行」は6の点、「さ行」は5、6の点に母音が加わるというように、規則的にできている=(2)。濁音や拗(よう)音(おん)は文字の前に、濁音、拗音を表す記号をつける。数字は数符、アルファベットは外字符という記号を前につけて、50音と区別する=(3)。
点字の文章は横書きで、左から右へ読む。原則、発音通りに表記する。「~は」「~へ」は「~わ」「~え」、長音は「しょーがっこー」「きゅーしゅー」のように長音符を使う。すべて、かな文字なので読みやすいよう1語ごとに空白を入れて書く「分かち書き」をする。行末の単語が入りきらない場合は1語を分割せず、次の行にまわして書く。
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■人物略歴
東京都出身。幼いころから弱視で、13歳で全盲になる。京都大文学部国史学科卒。専門は日本宗教史・文化人類学。毎日新聞大阪本社の点字毎日部の元非常勤職員。居合道二段、合気道初段。著書に「触る門には福来たる」(岩波書店)「障害者の宗教民俗学」(明石書店)など。
◇めの みえる どーきゅーせいと まなぶ しんゆー だいがく しんがくの ゆめ
大阪府守口市にある府立芦間(あしま)高校。昨年11月、校舎2階の総合学科「3年4組」の教室。窓側の席で全盲の多田悟司(さとし)君(18)が、目の見える生徒34人とともに「現代文」の授業を受けていた。
「今日から近代日本文学史に入ります。プリント持ってますね」。教壇に立つ萬田久美子教諭(58)が生徒たちに問いかける。多田君の一つ前の席にはサポート役の船本真理教諭(50)が座っている。2人の教師はともに国語担当。船本教諭の役割は、黒板に書かれた内容を多田君に口頭で伝えることだ。
授業が進む。「グラフがあって、横軸が時代(の流れ)です」。船本教諭は、板書の文字だけでなく、グラフや図形も多田君が頭にイメージしやすいように伝える。多田君には、墨字(すみじ)(一般の文字)のプリントを点訳した専用冊子が用意されている。机の上にその緑色の冊子を置き、点字を指で読む。点字で記録できる機器を使ってメモも取った。
同校では、英会話が中心の英語以外の授業で、同じ教科担当の1人が授業を補助する体制を整える。級友が板書を読み上げてくれる時もある。体育でも伴走の友だちの肩を持って走るなど、すべての学校行事に多田君は参加する。
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多田君は同府大東市で父潔司(きよし)さん(53)、母雅代さん(52)と3人暮らし。1歳3カ月の時、小児がんの網膜芽細胞腫と診断された。右目の摘出手術を受け、左目の視力も次第に失い、2歳を前に全盲になった。
点字との出会いは5歳のころ。京都ライトハウス(京都市北区)の幼児教室で遊びを通して学んだ。「おおらかで積極的な性格」(両親)の多田君は、障害のない子と育ち合う統合教育を望み、幼稚園、小学校、中学校と大東市立の公立学校で学んだ。
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芦間高校での昼休み。多田君は親友の篠田拓也君(17)らと昼食を取った。おにぎり2個。「食べやすいから」と多田君。2人は1年生の春の宿泊体験で話し出すようになり、ある日、学生食堂で多田君の食事を篠田君が運んでくれたのをきっかけに仲良くなったという。篠田君の多田君評は「声が大きく、おるだけで周りが明るくなる」。多田君も、インターネットで視覚障害者のサポート方法を調べる「しのっち」(篠田君)に、厚い信頼を寄せる。
多田君は今、大学進学を目指す。点字を使って学んできた高校生活を振り返って語る。「点字のなかった時代は、どう情報を得ていたのだろうと思う。点字はすごい。あって本当に良かった」【遠藤哲也】
◆
「地域の学校で学ぶ視覚障害児(者)の点字教科書等の保障を求める会」(連絡先info@motomeru.sakura.ne.jp)元代表の野々村好三さん(34)=京都ライトハウス勤務、全盲=によると、地域の学校で学ぶ全盲の児童・生徒は全国で40人を超えている。統合教育が進む関西では受け入れ態勢が比較的整っているが、全国では格差があるのが実情だ。
◇生きるヒント「点字力」--国立民族学博物館・広瀬浩二郎准教授
ブライユ生誕200年を記念し、国内外で今年、さまざまな催しが開かれる。国立民族学博物館(大阪府吹田市)では今年8~12月、記念展を計画している。企画を手掛ける同博物館民族文化研究部准教授で全盲の広瀬浩二郎さん(41)は、閉塞(へいそく)感の漂う21世紀の社会で、点字の秘める力に打開策を見いだす。広瀬さんにブライユ点字の意義などを聞いた。
--ブライユ生誕200年の意義とは。
◆私は中学1年の時に完全に視力を失い、点字を使うようになった。触る文字を通して、人間観や世界観を作ってきた。
音声で読み上げる機能付きのパソコンが高校生のころから登場したが、今も論文の下書きなどでは点字を使っている。じっくりものを考える時、点字に勝るものはない。
しかし、視覚障害者の間でも特に若い層で点字を読まない「点字離れ」が進んでいる。携帯電話やパソコンで音声を聞くようになっている。
点字が300年、400年と残ってほしい。今年を点字の価値、視覚障害者文化を再認識するチャンスととらえたい。
--広瀬さんは、21世紀を生きるヒントとして「点字力」を唱えている。「点字力」とは。
◆社会には目の不自由な少数者がいる。彼らの点字も立派な文字なのだから、その価値を認めてあげましょうというのが、これまでの点字の一般的な取り上げられ方だ。教育では優しい心を育てる素材として使われてきた。これを全否定するのではない。しかし、障害者=弱者という見方ではなく、もっと違った点字のアピール方法はないかと考え、「点字力」をキーワードにしたいと思った。点字力とは「したたかな創造力」と「しなやかな発想力」だ。
--具体的には。
◆フランスの軍人が考案した12点点字は、1文字を判別するのに指を縦方向にも動かす必要があった。これに対して、ブライユの6点点字は、指先を左から右へ動かすだけ。わずか六つの点で63通りの組み合わせができ、仮名も数字もアルファベットも表せる。
物質的に豊かな現代は、ものを増やす発想が強い。逆に、12点から半減したブライユ点字は、少ない材料で多くのことを表現できることを示している。「したたかな創造力」を秘めている。
また私たちは生きるうえでどうしても常識にとらわれる。しかし墨字(一般の文字)を線に沿って凸凹にした「線文字」から「点」へとコペルニクス的転回をした点字には、常識をポンと飛び越える柔らかさとたくましさがある。「しなやかな発想力」は特に子どもたちにもってほしい。
--視覚障害者に対する社会の意識は。
◆点字を使っている人が視覚障害者だという単純な位置づけではなく、「点字力」を持つ人が視覚障害者だと位置づける。これまでのマイナスの障害観をプラスのイメージに転じたい。
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◇六つの点で50音表現
点字の六つの点を、図のように、1の点~6の点と呼ぶ。
点字の50音は、原則、1、2、4の点を使う「あ、い、う、え、お」の母音=(1)=と、3、5、6の点の組み合わせで表す。「か行」は6の点、「さ行」は5、6の点に母音が加わるというように、規則的にできている=(2)。濁音や拗(よう)音(おん)は文字の前に、濁音、拗音を表す記号をつける。数字は数符、アルファベットは外字符という記号を前につけて、50音と区別する=(3)。
点字の文章は横書きで、左から右へ読む。原則、発音通りに表記する。「~は」「~へ」は「~わ」「~え」、長音は「しょーがっこー」「きゅーしゅー」のように長音符を使う。すべて、かな文字なので読みやすいよう1語ごとに空白を入れて書く「分かち書き」をする。行末の単語が入りきらない場合は1語を分割せず、次の行にまわして書く。
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■人物略歴
東京都出身。幼いころから弱視で、13歳で全盲になる。京都大文学部国史学科卒。専門は日本宗教史・文化人類学。毎日新聞大阪本社の点字毎日部の元非常勤職員。居合道二段、合気道初段。著書に「触る門には福来たる」(岩波書店)「障害者の宗教民俗学」(明石書店)など。