ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

マネタイズモデル(受益者労働モデル)

2013年05月01日 02時24分53秒 | 障害者の自立
 今、僕は東京・虎ノ門にあるスワンベーカリーというカフェで原稿を書いている。今日のテーマがここにある。

 スワンベーカリーは一見するとソーシャルビジネスには見えない。普通の上品で感じの良いカフェだ。しかしここには大きな特徴がある。それが、働いている人が知的障害者である、という点だ。

 これが今日お話しする受益者労働モデルだ。



マネタイズのための2つの道

 通常では受益者とはサービスの受け手を指す。しかし受益者労働モデルは、労働を通じて社会的包摂をもたらす。

 主に、なかなか一般的な労働市場では働きづらい、高齢者・障害者・難病患者・元受刑者・ホームレス等に労働参加してもらい、一般消費者にモノやサービスを提供することで収益を稼ぎ、結果として労働参加した人たちに雇用を提供できる。

 しかし一般的な基準で言うところの労働生産性が高いとは言えない人々に労働してもらうことが、経済的に成り立つのか。

 二つの方策がある。自主事業路線と公的スキーム路線だ。

自主事業路線

 この路線の代表格は、ビッグイシューだ。皆さんも駅前で雑誌を手売りしている人を見たことがあるかもしれない。このビッグイシューという雑誌を買うと、一部が売り手であるホームレスに行く。そうすることでホームレスが現金収入を得て、社会復帰へとつながる、というモデルだ。イギリスで生まれ、日本にも広がっている有名な事例である。

 また、徳島県上勝町の「いろどり」も著名だ。これは高齢者が山野から葉っぱを採集し、それを高級料亭のつまものとして加工し、出荷するというモデル。年収1000万円を超えた高齢者を輩出する等大きな実績を出し、超高齢化時代に希望を与える事例となった。

公的スキーム路線

 もう一つは、法律に基づいた事業にすることで、公的補助が出る、という道筋だ。典型的なものが、障害者雇用における就労継続支援A型・B型である。

 これは2006年施行の障害者自立支援法によって定められたもので、障害者を最低賃金以上の給与を払って雇用し、何らかの事業を行った場合、一定の給付金(補助)が入ってくる、という仕組みだ。この補助によって事業運営のハードルが下がり、雇用を生みやすくなる、という。以前は福祉工場等と呼ばれていたものである。


NPO法人フローレンスのオフィスでスタッフと談笑

事業の鍵

 自主事業路線の場合は、とにかくマネタイズ可能なビジネスモデルをゼロから創りあげるところが最も難しいところだ。

 公的スキーム路線の場合は、補助が入ってくることによって現場の障害者賃金はほぼ賄えることから、事業難易度自体は自主事業路線に比べ下がる。とはいえ、継続的に障害者等を雇用・訓練・定着させていかなくてはならないことから、マネジメント力の巧拙が大きく問われることになる。

 また、販路を拡大しなければやがてジリ貧になってしまうのは、通常のビジネスと同様なので、マーケティング力も必要になってくる。「障害者がつくったクッキーだから」買ってもらえる、というスタンスでは到底やっていけないのだという。

一般企業でも参入可能

 また特徴的なのは、企業には従業員数の2%にあたる人数分の法定障害者雇用義務があるのだが、特例子会社を設立し、そこで障害者を雇用すれば親会社の雇用としてカウントしてもらえる。

 そうすると、特例子会社で新規のソーシャルビジネスを行うことで、自らの企業の法定雇用義務を満たすこともできるのだ。これまで遠かった障害者福祉の現場と企業の現場が、近づきつつあると言えるのではなかろうか。

ビジョン

 この受益者労働モデルは、ともすれば一方的に「助けてもらう立場」の人が社会に参加し、価値を生むという大きな社会的意義がある。

 働くということは、単にお金だけでなく、社会に必要とされている実感を、働く人々に感じさせてくれるものだ。

 全ての人々に、居場所と出番を。これが受益者労働モデルの目指すところだろう。

駒崎弘樹(こまざき・ひろき)

 1979年、東京都江東区生まれ。慶応大学総合政策学部卒業。「地域の力で病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会をつくりたい」と考え、NPO法人フローレンスをスタート。代表理事として、日本初の「共済型・非施設型」の病児保育サービスを東京23区及び周辺地域に展開する。2007年にはNewsweek日本版「世界を変える社会起業家100人」に選出。2012年1月、Great Place to Work「働きがいのある会社・中小企業部門」にて第8位を受賞。
 また2010年から待機児童問題の解決のため、空き住戸を使った「おうち保育園」を展開、政府の待機児童対策政策にも採用される。震災後は中高生への無償学習支援「希望のゼミ」と外で遊べない乳幼児のための屋内公園「ふくしまインドアパーク」の運営に携わる。2012年9月に財団法人日本病児保育協会を設立し、理事長に就任。慶応大学の非常勤講師、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員、NHK中央審議会委員、東京都男女平等参画審議会委員もつとめる。
 2010年9月、1児の父に。2か月の育休を取得。2012年12月の第2子誕生により、現在育休中。


(2013年4月30日 読売新聞)

聴覚障害者とバザーで交流/観音寺でまつり

2013年05月01日 02時19分56秒 | 障害者の自立
 観音寺、三豊両市の聴覚障害者の拠点「西讃ふくろうセンター」(香川県観音寺市木之郷町)で29日、ふくろうセンターまつりがあり、新緑の下、聴覚障害者と市民らがバザーや手話コーラスなどで交流した。

 同センターは今年で開設6年目。聴覚障害者の自立支援のための活動を行っているほか、教養講座や手話講習などを開き、聴覚障害者と市民を結ぶ活動に取り組んでいる。

 会場では、協力団体のNPO法人ラーフ障害福祉サービス事業所やまもも(観音寺市)や地域活動支援センターたつのこ作業所(丸亀市)、高知県聴覚障害者協会などのメンバーによるバザーがあり、障害者が手作りしたクッションカバーや陶器、お菓子などが即売された。焼きそばやパットライスのコーナーもあり、参加者は縁日気分を満喫した。



四国新聞-2013/04/30 09:36

家電解体、希少金属販売で障害者の賃金アップ

2013年05月01日 02時17分21秒 | 障害者の自立
 県内の障害者施設で、不要になったパソコンなどを解体して回収した貴金属やレアメタル(希少金属)を販売し、障害者の工賃アップにつなげる取り組みが広がっている。1月には施設同士で連携して規模拡大のメリットを追求する「県基板ネットワーク」が発足し、事業の安定化を目指している。(米川丈士)

 知的障害者が通う新潟市西区の「のんぴーりAXIS(アクシス)」。6人ほどの通所者が解体しているのは、市を経由して回収したり、企業や個人から寄せられたりしたパソコンや小型家電などだ。

 手袋と眼鏡で防護し、貴金属やレアメタルが含まれる基板のほか、プラスチックや鉄などに分別する。パソコンのハードディスクには傷を付けてデータを破壊するなど、情報管理にも細心の注意を払う。

 業者の基板買い取り価格は1キロ800~1000円。同施設では毎月200~300キロの基板が出る。一般企業ではコストと時間がかかって採算が取れないが、障害者施設としては大きな収入だ。

 同施設では、1年半前に基板解体作業を始めてから1人当たり月約2万円だった工賃が、月約3万円に増えた。作業のリーダー役を務める市村駿さん(19)は「基板解体の仕事は楽しい」と笑顔を見せる。

 同施設が中心となって県内の障害者施設に解体作業を呼びかけ、今年1月には県基板ネットワークが発足。現在、10市の20施設が加盟する。1か所で解体できる量には限界があり、少量では非鉄金属の大手業者が買い取ってくれないケースが多い。しかし、ネットワーク化することでまとまった量の基板を直接納入できるようになった。

 業者としても毎月約1トンもの基板が安定的に入ってくるメリットは大きい。ネットワークの発足に合わせ、業者側は月1回、加盟施設にトラックを走らせて基板を回収するようになり、施設側は運送費が不要になった。規模拡大による効果が表れた格好だ。

 不要家電を巡っては、解体が面倒なため海外に輸出され、それとともにレアメタルも海外流出している問題が指摘されている。ネットワークの事務局を務める同施設の寺口能弘さん(37)は「障害者の労働力でごみが資源に変わり、レアメタルの流出、不法埋め立てなども防げる。この事業は国益につながる」と意義を強調する。

 同ネットワークは、不要になったパソコンや小型家電の提供を呼びかけている。詳細は、のんぴーりAXIS(025・264・1100)へ。

(2013年4月30日 読売新聞)

視覚障害者向け教育 日本で究める 全盲ベトナム人、大学院研究生に

2013年05月01日 02時11分24秒 | 障害者の自立
 東京都板橋区にある支援団体の協力で二〇〇七~一一年、東京で鍼灸(しんきゅう)やマッサージを学んだ全盲のベトナム人、ファン・バン・ソンさん(36)。このほど再来日し、今月から広島大大学院の研究生として勉強を始めた。「ベトナムに、視覚障害者が小学校から高校まで通え、鍼灸やマッサージも学べる学校をつくりたい」と将来の夢を語る。 (村松権主麿、写真も)


 日本留学で視覚障害者の教育環境の違いを実感した。「ベトナムでは『目の見えない人が勉強しても仕方ない』という考えが強く、改善の必要がある」


 ハノイ郊外の村出身。生まれつき弱視で、中学生の時、光は感じるが物を識別できなくなった。高校卒業後、医学部を志したが、入試に失敗。漢方とベトナムの伝統医学を専門学校で学び、友人らと治療院を開業。そこで妻と知り合った。六歳女児と一歳男児の父でもある。


 日本との出会いは〇四年、半年のマッサージ訓練を沖縄県で受けたこと。「教え方が上手で、点字の本など設備も充実して勉強しやすい」と実感。〇六年に茨城県つくば市で開かれたマッサージセミナーで、目の不自由なアジアの学生を支援する「国際視覚障害者援護協会(IAVI)」(東京都板橋区)の前理事長と知り合い、日本留学を薦められた。


 IAVIは一九七一年の設立以降、十七カ国・地域の視覚障害者七十六人を受け入れ、特別支援学校での勉強を支えてきた。ソンさんは〇七年に来日。翌年から筑波大付属視覚特別支援学校高等部(東京都文京区)で鍼灸やマッサージを学び、全国盲学校弁論大会で優勝した。


 卒業の一一年三月、東日本大震災が起き、母国の家族の心配もあり帰国したが、ソンさん自身は引き続き日本での勉強を熱望。IAVIの石渡博明理事長(65)の支援で進学先の選定や手続きを進め、再来日した。「両親や妻は応援してくれる」と感謝する。


 目の不自由な留学生の受け入れは初めてという広島大で、ソンさんは教育学部の授業を一年間受け、大学院の試験に合格後、アジア各国の障害者の現状や支援制度などを研究する。今月九日、授業が始まった。「よく理解できる。みんなも親切」。滑り出しは上々だ。


再来日したソンさん(右)を励ます国際視覚障害者援護協会の石渡博明理事長=東京都板橋区で

東京新聞-2013年4月30日 夕刊