前回まで、僕が研究を進める「競技用義足」、「ロボット義足」について説明してきました(「足がない」ことが可能性を広げる /ロボット義足は世界に何をもたらすか)。もう1つ、今、僕が取り組んでいるのが「途上国向け義足」の開発です。
きっかけは、インドのジャイプールフットというNPO(非営利法人)との出会いでした。ジャイプールフットは1975年から寄付を元手に安い義足を制作し、足を失った人に義足をタダで提供する活動を続けている団体です。
僕が留学していた米マサチューセッツ工科大学(MIT)のラボメイトが1年間ジャイプールフットでインターンをしてインドから帰国した際、3000円ほどの義足を持って帰ってきました。
その義足を見て、僕は大いに興味を持ちました。「僕だったら、同じ3000円でもっと良い義足が作れる」と思ったのです。
先進国と途上国のものづくりは、技術、素材、人、カネと与えられた環境が全く違います。ただ、その与えられた環境の中でベストなものをつくろうとする姿勢は一緒です。米国で最先端のロボット義足をつくるのも、インドで3000円の義足をつくるのも、本質は変わらない。そう気付いて、自分のそれまでの研究をインドでの義足づくりに生かしたいと思うようになりました。
インドでは、義足は高価なものなので必要なすべての人に行き渡っていないのが現状です。先進国に比べ、感染症や事故によって足を失うケースが多いにもかかわらず、です。
現在、インドの義足ユーザーは約350万人。潜在ユーザー数は1000万人に達しているとも言われています。1000万人の人に対して自分の持つ技術が役立つ可能性があると気付くと、じっとしていられず、すぐに行動を起こしました。
3000円の義足、日本にも需要はある
2008年夏、ジャイプールフットが経営するニューデリークリニックという診療所に滞在。インドでの義足づくりに関わり始めました。
クリニックで足がない患者さんたちに会うと、彼らは「障害者になってしまった」という悲壮感が非常に強かった。インドのような途上国では先進国に比べ、「足がない」ということが目に見えた差別の対象にもなるからです。彼らは切実に「足がないことを隠したい」「本当の足らしく見えるものが欲しい」という要望を持っていました。
それまでの義足は、主に、見た目と機能に課題がありました。そこで、僕は同じプラスチック樹脂製をすねのような形状にし、中は空洞にして軽くしつつ、義足自体が体重を支えられる構造にしました。さらに、新たな膝関節のパーツを開発し、安く効率的に動くようにしました。足が地面に付いている時には固定され、歩き出すために地面から離れる時には曲がるようにし、スムーズに膝関節を動かしながら歩行できるようにしたのです。
ジャイプールフットは貧困層を対象に無償で義足を配ることに強い信念を持っています。彼らのビジネスモデルに合うよう、コストはそれまでどおり3000円に抑えなくてはいけません。今はプロトタイプが出来上がったところで、これから量産化を進めていきます。
重視しているのは「現地の人だけで回せるビジネス」にすること。現地で調達できる樹脂素材を利用し、現地の工場で製造できるようにしたいと思っています。現地の人たちが自立し、主体的に動いてこそ、持続性のあるビジネスになるからです。また、この義足開発のプロセスはすべて、現地の技術者といっしょに行いました。この「Co-creation(一緒に作る)」のプロセスこそ、現地にエンジニアリングのスキルを根付かせ、さらなるイノベーションを生み出す種になるのです。
安い義足は貧しい途上国でしか使えないかというと、そんなことはありません。僕は日本でも十分需要はあると思っています。
2012年11月、インド向けに開発した義足を、骨肉腫を発症した僕の友人に渡しました。当初、人工関節を入れる手術をした友人は、その後、骨肉腫を再発し、足を切断し義足を付けるようになっていたからです。
インド向けの義足を付けてみて、彼は「これで滝に打たれに行きます」と喜んでいました。
滝に打たれに行く――。これは義足ユーザーにとってとても難しいことなのです。
日本の医療保険制度では、保険適用される義足は1足だけ。義足ユーザーはたいてい義足を1足しか持っていません。今、使っている義足が壊れたら歩けなくなるという恐怖があり、誰も水に濡らそうとはしません。けれど、3000円ぐらいで買える義足なら、使い捨て感覚で滝に打たれることもできます。
温泉に行ったり、海に行ったりと行動範囲が広がり、より豊かな人生を送ることができるのです。
体に障害を持つ人なんていない、技術に障害があるだけ
MITに留学中、感銘を受けた言葉があります。
「体に障害を持つ人なんていない。技術に障害があるだけだ」。
ロッククライミング中の事故で凍傷となり、両足切断をしたヒュー・ハーMITメディアラボ教授の言葉です。
技術に障害があるとはどういうことでしょうか。
メガネを思い出してください。世の中に、近視のために裸眼では遠くのものが見えない人はたくさんいます。メガネという矯正器具がなければ、これら近視の人たちも障害者と呼ばれていたのかもしれません。メガネは視力の代替技術として普及しています。
しかも、かつてのメガネは牛乳瓶の底のように厚くてちょっと不格好で、メガネをかけた子供は「メガネっ子」とからかわれるようなこともありましたが、今はどうでしょう。
技術の進歩で矯正度の高いレンズもごく薄くなりました。ガラスではなく、透明なアクリルなど軽い素材で視力を矯正できるようになりました。おしゃれなデザインのフレームも出回り、ファッションの一部として、メガネを楽しんでいる人がたくさんいます。
メガネに導入された最新の技術は、近視という障害をなくしました。技術は、障害者を障害者でなくすることができるのです。
義足もメガネのように身近な技術として発展していけば、「足がない」人を障害者でなくすることができるはずだと信じています。
義足の普及で障害になるのは、義足であることを隠したいという「心」の問題です。
日本や米国に比べ、ヨーロッパでは短パンをはいて義足を隠さずに見せている人が多い。文化的に義足を受け入れる土壌があるからなのでしょう。一方でインドのように、差別的な受け止め方をされてしまうからと義足であることを隠したがる地域もあります。
すべての国で、義足に対する抵抗感をなくす「心のバリアフリー」を実現するにはどうすれば良いか。歴史的に根付いてきた思想や価値観の問題もありますが、最終的には技術が進化することだと僕は思っていますし、それほどまでに「技術の力」を信じている。
カッコいいものなら見せるし、カッコ悪いものなら見せない。メガネと同じく、技術の力でカッコよく見せられるようになれば、義足に対する意識は間違いなく変わるはず。心のバリアフリーに僕らエンジニアが貢献できる部分は大きいと思っています。
遠藤 謙
ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員/Xiborg代表取締役
日経ビジネス オンライン 2014年7月31日(木)