ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者の自立支援へ 本別にNPO、年内にも食堂開設

2014年08月18日 02時49分59秒 | 障害者の自立
 【本別】障害者の自立支援を目指す「ほんべつフリーライフ」が発足し、設立総会を開いた。NPO法人設立の申請を行い、障害者が集うカフェの開設や相談事業などに乗り出す。

 フリーライフは、障害者と社会との接点をつくろうと町内の社会福祉士らが中心となり結成された。精神障害者のほか、身体障害や発達障害など幅広い障害者を対象に活動する。

 町内北1に事務所を構え、本年度は休日相談窓口を開設するほか、障害者らが集まることのできる地域食堂を年内にも始める。障害者の就労あっせんとして遊休地を活用した農業体験なども計画している。

 来年度は障害者のグループホームの開設準備に加え、リサイクル事業や草取り、買い物など簡単な作業を請け負う「チョコット事業」などを展開し、障害者の就労支援とともに社会との接点づくりも進める。

 9日の総会では定款などの議案を可決し、町民と障害者の交流事業を行っている銀河サロンの三井誠子運営委員長を代表理事に選んだ。三井さんは「障害者に就労の場を提供し、将来的にはグループホームも開設したい」と語った。

 同会は会員募集のほか、賛同者からの寄付も受け付けている。問い合わせ事務局(電)0156・28・0099へ。

(08/16 16:00) 北海道新聞

湯あがりの牛乳PR 大分市の障害者就労支援施設

2014年08月18日 02時43分48秒 | 障害者の自立
 大分市花高松の障害者就労支援施設「来夢(らいむ)」(米沢幸宏理事長)は、利用者の持つ技術や才能を生かした仕事を作り出す取り組みとして、牛乳瓶に掛けるPRタグを製作、販売した。米沢理事長(44)は「今後も利用者の実力を引き出し、顧客のニーズとうまく結び付けていきたい」と話している。

 「来夢」には現在、特別支援学校卒業者や心の病を抱える人など25人が登録。就労を目指して、古くなったテーブルクロスをナプキンに再加工したり、毛糸を使ったぬいぐるみを作る仕事などをしている。
 受託作業が多いため、仕事量が安定しないことへの対策を考えていた米沢理事長はスタッフや利用者と相談。県が取り組む「おんせん県おおいた」キャンペーンと、「温泉→風呂→冷えた牛乳」というイメージを組み合わせて牛乳瓶に掛けるPRタグを考えた。
 イラストが描ける30代の女性利用者が、風呂上がりに牛乳を飲む人を柔らかいタッチの絵で表現。川柳やキャンペーンのロゴも入れたデザインを、大分支援学校を通じて縁があった牛乳販売店経営の森広行さん(50)=久原南=と飲食店経営の森薫さん(45)=政所=に提案した。
 森広行さんは「タグを掛けると陳列棚で目を引き、取引のない観光施設にアピールできるのでは」と発注。営業の結果、道の駅など2カ所との新たな取引につながった。「今後も精力的に営業したい」という。
 今後の受注増加を期待する半面、利用者の体調に配慮したペースで作業することになる。米沢理事長は「継続的に受注に応じるためにも、一人一人の障害や病気を“個性”ととらえ、理解してくれる顧客との出会いを探りたい」と話した。

大分合同新聞 8月17日

茨城)障害者ゴルフ、9月に土浦で初めての世界選手権

2014年08月18日 02時22分48秒 | 障害者の自立
 障害者を対象にしたゴルフの初めての世界大会「第1回世界障害者ゴルフ選手権」が9月末から、土浦市で開かれる。県内からも男性1人が日本代表チーム入りした。競技人口を増やして各国に競技団体整備を促しつつ、パラリンピック種目としての採用をめざす。

 これまでも各国の大会に国外から参加することはあったが、日本障害者ゴルフ協会(東京)など各国の障害者ゴルフ団体が協力して実行委員会をつくり、主催するのは初めて。

 9月28日に前夜祭があり、29、30日は土浦市の「ワンウェイゴルフクラブ」を会場に交流コンペと公式練習、10月1~3日に競技がある。男性は4人1組のチーム戦(上位3人のスコアの合算)と個人戦、女性は個人戦のみだ。

 参加資格は、原則として肢体不自由の障害があるゴルファーで、人工臓器などの内部障害や聴覚、視覚に障害がある人はのぞく。ひざの可動域や筋力など、競技への影響度を加味した欧州の基準を元に選考する。約20カ国から60人程度が参加し、最大規模の大会になる見通しだ。

 ゴルフは2016年のリオデジャネイロ五輪で112年ぶりに実施されるが、パラリンピックでは不採用に。日本障害者ゴルフ協会によると、国際パラリンピック委員会からは、採用条件として世界大会の定期的な開催をアドバイスされたという。

 その後、欧州団体からの提案で、昨年末、日本国内で開催することが決まった。第1回の会場に土浦市を選んだのは、コースの起伏が緩やかで移動しやすいうえ、カートでフェアウエーを走れるなど施設側の理解も得やすかったからだという。

 協会の佐藤成定代表理事は「健常者のプロと互角に渡り合える選手も参加し、世界最高峰の大会になる」と強調する。問い合わせは協会(03・5758・3255)へ。

■逆境感じさせぬ力強さにひかれた 日本代表の浅野芳夫さん(66)

 「地元開催だし、しっかり練習して日本チームに貢献したい」。代表に選ばれた浅野芳夫さん(66)=かすみがうら市=は意気込む。7月末に大会会場と同じゴルフ場で開かれた選考会で7人中3位に入り、過去2年の成績と合わせて選出された。会場は自宅から近く、利用したことも多くてコースは熟知。地の利を生かして大会に臨む。

 北海道から長距離トラックを運転して戻る途中、橋の欄干に衝突して右足を失った。24歳の暑い夏だった。約10年後、当時勤めていた地元建設会社の社長に勧められてゴルフを始めた。50歳近くになって、ゴルフ仲間と地元の大会に出るようにもなった。そんななか訪れた栃木県内のゴルフ場で、壁に貼っていたポスターを見て障害者ゴルフを知った。

 「初めて参加したときはすごく感動しましたよ。義手で美しいスイングをする人とか、半身マヒで車椅子に座ったままボールを正確に飛ばす人とかがいてね。逆境を感じさせない力強さが、ありましたよねえ」

 7月末の代表選考会では、初日単独トップだったのに、2日目に10以上スコアを落とした。「まだまだなんです。日本代表なんておこがましい」。そんな言葉をたびたび口にする。努力でスコアは良くなり続ける。もしパラリンピックへの道が開けたら、ぜひ挑戦したいと強く思う。

 「でも、なかなか自分の思い通りにならないのがゴルフ。それが一番の魅力なんですけど}

2014年8月17日03時00分 朝日新聞

北欧で感じた「新しい世界」

2014年08月18日 02時17分11秒 | 障害者の自立
 今月上旬、社会学者・古市憲寿氏とともにデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの四ヶ国を回った。オスロへの留学経験もある古市氏の案内のもと、福祉や教育の面で評価の高い北欧諸国を回り、その実態を肌で感じることが目的だった。

 四ヶ国を通じて最も強く感じたのは、北欧の人々は「障害者を特別視しない」ということ。町を歩いていても、交通機関に乗っていても、「お手伝いしましょうか?」と声をかけられたり、特別な対応をされたりすることはほとんどなかった。もちろん、こちらが助けを求めれば快く応じてくれるのだろうが、こちらから頼まなければ、とくに見向きもされなかった。それは、私にとってじつに新鮮で、心地の良い世界だった。

 好むと好まざるとにかかわらず、私はどの国においても、"特別視"され続けてきた。背の高い電動車椅子に興味を示し、「これは日本製か?」などと人懐っこい笑顔で話しかけてくる東南アジア。宗教心からか、街角に立ち止まっているだけで車椅子の座席に1ユーロを置いていこうとする西欧諸国。そして、「どう接したらいいかわかりません」と人々の顔にくっきり書いてある日本。北欧は、そのどれとも違った。

 おそらく、北欧では、とりわけ親切にしたり、同情したりせずとも、障害者が自由に生きていける社会なのだろう。こうした社会が成立するには、段差をなくすなどの物理的なバリアを排除することや、就労や保障によって障害者の生活基盤を安定させることなどが前提条件となる。北欧諸国は、ハードも、ソフトも整えることで、障害者をあらゆるバリアから解放してきたのだろうと思う。

 翻って、日本はどうか。東京などの大都市にかぎって言えば、ハード面は世界的に見てもトップクラスだと感じる。あとは、ソフト面。多くの日本人が、「どう接したらいいかわかりません」となってしまうのは、いまだ社会のなかで障害者が「特別な存在」であり、多くの人が「慣れていない」から。まずは、障害者政策を、人々の意識を、「隔離」から「共生」へと転換することが必要になってくる。

 もちろん、北欧がすべてに優れた、完璧な社会であるなどと言うつもりはない。たった数日間の滞在では気づくことのできなかった綻びだって、多々あることだろう。ただ、これは障害者の問題に限らず、日本社会が抱える課題に対して、他国の制度などを参考にしながら、それを日本の現状や風土に合わせてカスタマイズしていく試みは、決してムダなことだとは思えない。

 2020年、東京にはオリンピックだけでなく、パラリンピックもやってくる。あと6年で何もかもが解決できるとは思わないが、海外から訪れた人々に少しでも、「日本は障害者が生き生きと暮らしていける国だ」と感じてもらえるよう、私なりに尽力していくつもりだ。

 「障害者だから頑張る」でもなく、「障害者だから頑張れない」でもない、ひとりの人間として生きていくことのできる社会を目指して。

(2014年8月16日「Oto's Mail」より転載) 2014年08月16日 16時19分

盲ろう者、孤立浮き彫り 東北938人 全国調査

2014年08月18日 02時10分00秒 | 障害者の自立
 目と耳の両方が不自由な「盲ろう者」が、国内で少なくとも1万3952人いることが「全国盲ろう者協会」(東京)の実態調査で分かった。厚生労働省の事業として初めて本格的に行われ、先ごろまとめられた。盲ろう者の孤立が浮き彫りとなり、厚労省や関係団体は対策を急いでいる。

 2012年10月時点の調査で、視覚、聴覚両障害が身体障害者手帳に記載されている人が対象になっている。東北6県では938人(青森150人、岩手167人、宮城179人、秋田112人、山形162人、福島168人)だった。
 盲ろう者の障害の程度はさまざまで、約1万2800人に送付したアンケート(回収率22.4%)によると、全盲ろうの人が15.9%、全盲難聴41.2%、弱視ろう7.7%、弱視難聴26.3%だった。無回答は8.9%。
 盲ろう者が社会参加するには、当事者の意思疎通や情報入手を支援する「通訳・介助員」の存在が欠かせない。通訳・介助員の派遣事業は都道府県、政令市などが行うが、今回の調査を基に調べた利用率は6.9%にとどまっている。
 当事者の意思疎通方法としては、手話をする人の手に触れて理解する「触手話(しょくしゅわ)」や、点字タイプライターのキー代わりに盲ろう者の指を直接たたいて言葉を伝える「指点字(ゆびてんじ)」などがある。
 全国盲ろう者協会の山下正知事務局長は「盲ろう者自らの情報取得が困難なことから、福祉サービスの利用が進んでいない。当面は、通訳・介助員派遣制度の拡充などを訴えたい」と話している。

◎みやぎ「友の会」の早坂さん/仲間の存在知り希望

 盲ろう者は情報を得ることが難しい。生まれた時から弱視難聴だった「みやぎ盲ろう児・者友の会」(仙台市)の会長、早坂洋子さん(32)は小中高校を普通学校で過ごした。高校を卒業するまで「目と耳が不自由な人は、自分だけだと思っていた」と言う。
 子どもの頃は家族の会話を聞き取れたため、言葉を習得することができた。だが、障害は進行した。中学の授業で、単眼鏡を使って黒板を見た。友人の声も徐々に聞こえなくなった。みんなが笑っていても、どうしてなのか分からずにいた。
 孤独から救ってくれたのは、19歳の時に知った関東の当事者団体だった。交流会に参加すると、支援者らと大きな文字を使った筆談で会話をすることができた。
 「たわいもない内容を、心から楽しんだ。自分もみんなとおしゃべりができるんだと思った」
 同様の団体を宮城でも発足させようと、2002年に県内の当事者や支援者と「友の会」の準備会をつくった。会は、県と仙台市が主催する通訳・介助員養成講座に協力もしている。
 早坂さんは現在、新聞の大きな見出しサイズの文字なら目の前で読むことができる。ただ、音声の聞き取りは難しい。それでも、支援者の助けを借りながら通訳・介助員養成講座で講師を務めている。
 友の会の盲ろう者は現在5人。多くの当事者に、会の情報が届いていないのが現状だ。「盲ろう者に直接知らせることは難しいので、周囲の人に情報を伝えていきたい」と早坂さん。「盲ろうの状態になって絶望している人もいるかもしれないが、工夫すればできることも多い。希望を持ってもらえるように活動したい」と話す。

[盲ろう者実態調査] 地方自治体を通じて身体障害者手帳の交付状況を直接調べており、これまでの抽出調査に比べて精度が格段に上がった。一方で、障害者手帳を取得していない当事者もおり、実態調査にも限界がある。アンケートも同時に実施し、当事者の暮らしぶりを詳細に分析している。全国盲ろう者協会の連絡先は03(5287)1140、ファクス03(5287)1141。


通訳・介助員養成講座で筆記通訳の方法をアドバイスする早坂さん(中央)

2014年08月17日日曜日 河北新報