戦争体験を語る水野さん、藤野さん、松本さん(左から)
日本障害者協議会(JD)は8月28日、「戦後70年と障害者~わたしたちには聴こえます! 戦争の足音が」と題するシンポジウムを憲政記念館(東京都)で開き、約500人が参加した。沖縄戦と「晩発性の心的外傷後ストレス障害(青壮年期には何事もなく、晩年に発症するもの)」を研究する蟻塚亮二・メンタルクリニックなごみ院長(精神科医・福島県)が基調講演したほか、戦争体験のある障害者らがそれぞれ体験談を披露した。
戦後、小学生の時に不発弾の爆発で両手首と両眼の視力を失い、弟が即死した体験を持つ藤野高明さん(76・大阪府)は、「私は事故後13年間就学を拒否された。私はいま、子どもたちの未来に計り知れない不安を感じている。若い人には戦争と障害のことを自分のことだと考えてほしい」と話した。
聴覚障害のある水野ミサさん(89・東京都)は、故郷の新潟県でろう学校に通っていた時の空襲を手話で説明。「自分のすぐそばに焼夷弾が落ちておなかをやけどした。周りは死体や内臓の飛び出た人だらけで地獄だった。これからは手話通訳をさらに発展させて、差別のない社会になってほしい」と話した。
肢体不自由児学校の元教員で、障害児の学童疎開に詳しい松本昌介さん(79・東京都)は、「子どもたちは疎開先で栄養不足で苦しんだ。障害者が一人で生きていくのは難しい。今の若い人にはたくさん学んでほしいし、障害のある仲間を一人きりにしてはいけないと言いたい」と話した。
蟻塚医師の講演要旨