ゴエモンのつぶやき

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原子力災害備え障害者避難訓練 避難先へのルートや施設確認

2015年10月28日 02時56分04秒 | 障害者の自立

 原子力災害時における、福井県小浜市の身体障害者や障害者施設利用者の広域避難経路を確認する訓練が25日行われた。参加者はバスなどで避難先となっている兵庫県姫路市などへのルートや避難施設を確認し、万が一に備えた。

 昨年9月に、同市広域避難計画が策定されて以来初の試みとして、市などが主催した。各施設が独自に作成する避難マニュアルの再確認も兼ねて行われた。

 午前9時半、同市身体障害者福祉連合会に加入する障害者や、同市後瀬町の社会福祉法人つみきハウスの利用者、ボランティアら約40人が市役所に集合した。

 出発式では、松田克彦市民生部長が「基準値を超える放射線が検出されました。避難を開始してください」と発令。障害者らはバス2台と乗用車に分乗し、北陸自動車道や舞鶴若狭自動車道などを使い、避難先に指定されている姫路市と越前市に向かった。

 それぞれの支援施設や体育館では、階段や段差の有無、車いす利用者がスムーズに移動できるかなど、マニュアルに不備がないかを点検した。

 松田部長は「避難といってもイメージがなかなかわかない。これを機に、いざという時に動けるよう備えてほしい」と話していた。

2015年10月27日   福井新聞


視覚障害者の生活便利に 盛岡で情報機器など紹介

2015年10月28日 02時47分50秒 | 障害者の自立

 視覚障害者に新しい情報機器などを紹介する「みえないみえにくい人のための機器展」(県立視聴覚障がい者情報センター主催)は25、26の両日、盛岡市盛岡駅西通1丁目のいわて県民情報交流センター(アイーナ)で開かれている。今回で10回目で、全盲や弱視の人により便利な暮らし方について情報提供している。

 25日はiPad(アイパッド)体験があり、参加者がタブレット端末iPadの操作アプリを起動し、音声と講師の指導で操作。初めて触れた盛岡市に住む全盲の女性は「ホームページの閲覧や音楽をダウンロードしたい」と話し「こういう機会が年に2、3回あれば良い」と望んだ。

 会場には協力企業の読み上げ機器や拡大図書器、録音図書読書器など最新の機器が並び、点字や音訳編集も体験できる。同センターの千葉潤所長は「日常生活で使う道具も工夫されてきている。直接確かめ、生活を便利にしてほしい」と話す。

【写真=ボランティアや家族が見守る中、タブレット端末を操作する参加者】

(2015/10/26)   岩手日報


山本と上与那原がリオ・パラ枠獲得 障害者による世界選手権

2015年10月28日 02時45分34秒 | 障害者の自立

 障害者による陸上の世界選手権は26日、ドーハで行われ、男子走り幅跳び(切断などT42)の山本篤(スズキ浜松AC)が6メートル29の大会新記録で優勝した。男子1500メートル(車いすT52)の上与那原寛和(ネクスト)は2位。2選手は2位までに与えられる来年のリオデジャネイロ・パラリンピック出場枠を獲得した。

 日本パラ陸上連盟は枠を得た選手を代表にするとしている。

(共同)   2015.10.27


全国へ体幹鍛える 知的障害者大会へ17選手が岩教大合宿

2015年10月28日 02時37分28秒 | 障害者の自立

 【岩見沢】来年2月に新潟県で開かれる知的障害者の冬季競技全国大会「スペシャルオリンピックス(SO)日本冬季ナショナルゲーム」に向け、北海道選手団が24、25の両日、道教大岩見沢校で合宿を行った。アルペンスキーなど4種目の選手17人が体幹トレーニングの方法などを学んだ。

 同大会は4年に1回開かれ、2017年の世界大会(オーストリア)の選手選考も兼ねている。競技用かんじきをはいて走るスノーシューイング、アルペンスキー、クロスカントリースキー、フィギュアスケートの選手が札幌、美唄、名寄などから合宿に参加した。

 25日は、選手がバランスボールを使った体幹トレーニングに励んだ。50センチほどのボールを両足で挟んで回す練習では、「難しい」などと言いながら熱心に取り組んだ。休憩時間はスタッフも入り和気あいあいと談笑し、結束も図った。

 美唄在住のクロスカントリー選手清水一輝さん(18)は「昨年に競技を始め、最近は滑るのが楽しい。大会ではメダルを狙う」と意欲を語った。

10/26  北海道新聞


共生社会って何だろう…(2)太陽の家なんか、なくなれ

2015年10月28日 02時28分32秒 | 障害者の自立

 JR日豊線・亀川駅西口を出て5分、住宅地の先に「太陽の家」はあった。

 事務局や在籍者住居のある本館、共同出資会社や協力企業の工場・事務所、職能訓練も兼ねた作業所やカフェ、体育館やプールなどのスポーツ施設にスーパーマーケットや銀行まで、約2万6千平方メートルの敷地はひとつの町だ。案内する人事・広報課長の四ツ谷奈津子でさえ「全部を見て歩くのは大変」と話す。

 1965年10月、別府市大字内竈の地に障害をもつ15人が働く「家」は生まれた。木工、義肢装具、洋裁に車椅子、竹工。地元企業からの仕事を請け負った。

 創設者の医師、中村裕は「障害者には保護より機会を」と断じ、障害者が「有給就職し納税者となる」社会を夢見た。いや、夢の実現に私財をなげうち、関係各所に熱く働きかけた。

 「太陽の家」と命名した作家の水上勉は、脊椎に障害をもって生まれた次女の治療を受けた縁で生涯、中村を支援し続けた。評論家の秋山ちえ子は「応援団」を自任、井深大や本田宗一郎、立石一真ら大物経営者を中村に紹介している。

 彼らの存在が後の共同出資企業に結実するのだが、その話は別に書く。井深ら企業創業者を動かした中村の先見性と情熱を思う。

 「施設の近くに自宅があり、夜中でも指示が飛びました」。四ツ谷は中村の最晩年に秘書を務めた。「厳しさのなかの優しさが人を引きつけたと思います」

 いまやコンピューターソフト開発やデータ処理など時代とともに成長、別府だけで障害者498人、計792人が働く。県内の大分や日出、杵築に加え、京都と愛知にも事業本部を設けた。障害者1075人、合わせて1877人規模だ。

 別府は地域と施設が深く結びつく。プールは地元の小学生でにぎわい、カフェは憩いの場だ。公衆浴場「太陽の湯」でも交流が見られ、納涼大会には地域がこぞって参加、在宅介護の相談なども受ける。

 直営スーパー・サンストアや大分銀行太陽の家支店は通路を広く、カウンターを低くした。段差もない。車椅子への配慮だが、地元の高齢者にも評判がいい。

 ここは共生社会のショールーム。2020年レガシーを考える人にこそ見てもらいたい。ただ、中村は生前、こう話したという。

 「最後には太陽の家なんかなくなってしまえということを目標にしている」。共生社会を考えるうえで、重い言葉だ。=敬称略

1964年パラリンピック東京大会で選手宣誓する青野繁夫氏と、後方で付き添う中村裕医師(「太陽の家」提供)

1964年パラリンピック東京大会で選手宣誓する青野繁夫氏と、後方で付き添う中村裕医師(「太陽の家」提供)

(特別記者 佐野慎輔)   産経ニュース