来年のリオデジャネイロ・パラリンピックへの出場権をかけ、千葉市で開かれている車いすバスケットボールのアジア・オセアニア選手権(三菱電機特別協賛)。日本男子のリオ出場に期待がかかるが、競技関係者が「最大の課題」と語るのが、次世代のアスリートの発掘だ。選手層の裾野を広げるため日本車椅子バスケットボール連盟は、2020年東京大会に向けた対策委員会を設置し、選手発掘を急ぐ方針だが、各界の協力は不可欠だ
「車いすバスケと出会っていなければ今の自分はない。それほど人生を大きく変えた」。車いすバスケ男子日本代表のアシスタントコーチ、京谷和幸さん(44)はそう語る。
サッカーJリーグの選手だった平成5年、交通事故で脊髄を損傷し、いったんはトップアスリートの道から退いた。第二のアスリート人生につながる車いすバスケとの出会いは“偶然”だった。
障害者手帳の申請のため妻が訪れた市役所で、対応した職員が京谷さんがJリーグの選手だったことに気付き、上司で現在は連盟副会長を務める小瀧修さん(60)に報告。当時、車いすバスケ選手だった小瀧さんは親身に、そして粘り強く、車いすバスケへの道を勧めた。
「運命の出会いだと思った。彼が一流選手になることが想像できた」と語る小瀧さん。京谷さんを熱心に口説き、リハビリ専門の病院を紹介。自分の車いすで競技も体験させた。
京谷さんは当初、「手は痛いしつらい。自分にできるわけがない」と乗り気ではなかったが、6年の自分の結婚披露パーティーで「車いすバスケで世界を目指す」と宣言し、後に引けなくなった。徐々に頭角を現し、宣言通り2000年シドニー大会以降、4大会連続で日本代表に選ばれ、チームを引っ張った。
だが、こうした“運命の出会い”が、いつも起こるわけではない。障害者がスポーツと出会う機会が少ないためだ。
連盟などは実際にボールを手にとってもらおうと、障害のある子供を対象に体験会を実施。日本代表のエース、香西宏昭選手(27)ら、体験会をきっかけに代表を目指す選手も増えてはいるが、「プレーできる施設が自宅近くにあったり、親が送迎してくれたりと、条件が整わないと続かない。情報が少なく、自分にできると思っていない人も多い」。
健常者に競技の魅力を伝えるための模索も続く。連盟によると、欧米には健常者も車いすに乗り、同じチームでプレーできる独自ルールを持つ国も多い。プレーを通じて互いの理解が深まるなどのメリットも多いが、日本での導入は決まっていない。
こうした課題をクリアするため、連盟はアジア・オセアニア選手権後、対策委員会を立ち上げ、本格的な強化事業に取り組む。2020年東京大会に出場できる選手を発掘し、育てることが目標だが、まずは障害者と普段から接する理学療法士らの協力が不可欠という。
京谷さんは「もちろんそれなりのセンスがないと難しいが、これから始めても東京大会出場の可能性はゼロではない」。小瀧さんは「選手が直接ぶつかりあうゲームのおもしろさを、もっと知ってもらいたい」と話している。
2015.10.17 産経ニュース