■人権は死語か
人権あるいはヒューマンライツというと、日本ではほとんど死語になっているかもしれない。
いや、差別や在日差別、また障害者差別や女性差別など、マイノリティ全般への差別はしっかり残っていることは僕はわかっているつもりだ。
が、長らく続いてきた「ミドル(中流)クラスの時代」が、それらマイノリティ差別をいつのまにか隠蔽してしまった。また、長らく続いてきた「平和の時代」が、そうした激しい社会的摩擦を結果的に隠蔽してしまった。
それが、失われた20年を経過しリーマン・ショックを経て東日本大震災を過ぎると、日本はしっかり「階層社会」となっていた。
相対的貧困層(月9万を切る手取り収入)が2,000万人(僕のこの記事参照階層社会とは暴力社会)、非正規雇用者が全労働者の4割等のよく知られたデータを見るだけでも、相当エグい事態になっていることが実感できる。
またアンポ法が成立してしまい、来春にも自衛隊が中東に「集団的自衛」させられる日が来ようとしている。そうなると、よく知られた平和憲法に守られたこれまでの日本人のあり方ではすまされず、海外ではもちろん、国内でも「テロ」の標的になるかもしれない。
海外での献身的なNGO活動(例えばアフガンでの中村医師等)といえどもこれまでどおり中立的な活動はできない(中村氏のこのインタビュー参照「テロの標的になる可能性高まる」 NGOに広がる懸念)。
■本当の資本主義
このように、経済的平等の時代、平和の時代ははっきりと過ぎ去り、なんの時代かはわからないが、新しいフェーズに日本社会は入ってしまった。
近場の外国である朝鮮半島でさえ飛行機が必要な我が国は「島国」ではあるが(歴史的人為的に区切られたロシアとの境界は、距離的近接性の割に心理的遠隔地であるという国内の感覚が今では興味深い)、諸外国の動きがやはり遠い。
が、日本では相対的貧困層が増大し結果として平均年収が伸びないでいるものの、世界的に見ると「豊か」になっている(世界の”貧困層”は確実に減少している)。
グローバリゼーションが進行すると、世界的にみれば超貧困層が上昇していき、先進国でのミドルクラスが下降していくことと合わせ、中の下あたりで均衡がとれると10年ほど前に議論されていたことを僕はよく覚えている。
まさにその事態がいま進行しており、先進国のひとつであった日本は完璧に階層化してアンダークラス増大+平均年収低下が進行し苦しんでいるものの、世界的にみれば絶対的貧困層が減少していっている。
これまで富を享受していた一部の国が階層分断化させられ、一部の国内で「持たない者」が生み出され苦しみ、「持つ者」は以前以上に持つことになり、富を享受する。
これが本当の資本主義であり、マルクスが150年前に予言したグローバリゼーション・キャピタリズムが、いまやっと到来した。
それは、フランスの哲学者ドゥルーズとガタリが予言したとおり非常に活発で躍動的で暴力的な社会ではあったけれども(『ミル・プラトー』や『アンチ・オイディプス』参照)、いざその事態になってみると、この70年間ミドルクラスで平和な時代を享受してきた我々島国の人々には、とても過酷な事態だったのだ。
■子どもと女性というマイノリティの創出
だからこそ僕は、今、「ジンケン」を再定義する時が来たと思う。
人権はもはや人権でもヒューマンライツでもなく、大正時代に宣言が呼びかけた「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」の意味を再びもって「ジンケン」として蘇る時が来た。
冒頭に書いたとおり、差別はこの 70年もずっと続いている。
が、一億総中流の迫力に押され、そうした差別事象は一部の心ない人々が起こしてしまう例外のような扱いをされてきたのではないか。
僕は、マジョリティ(多数派)が抱える差別意識はそんな単純なものではなく、マジョリティ全般に根付くしぶといものだと思う。だがそれは、どちらかというと「構造的」問題というよりは、歴史的因習のようなものとして理解されていた。歴史的な因習さえ打破すれば、経済構造事態は一億総中流化されたのだから、なんとかなる、というような。
人々の意識を変え、価値を問い直す、これを持続・維持していくことで、「人権」は理想に近づく。
が、現在起こっている問題は、経済格差による貧困層の増大と、拡大した貧困層内でのさらなるマイノリティの創出だ。
それは言い換えると、子どもと女性という被害者・マイノリティの創出であり、事象としては児童虐待・性暴力・DVなどに現れている。
子どもと女性はこれまでもマイノリティではあったものの、貧困層拡大によってさらなるマイノリティとなっている。ここが、「ジンケン」が創出されるポイントだ。
■ジンケン・グローバリゼーション
僕は、ジンケン・グローバリゼーションというような新たな概念をうちたて、本当の資本主義が到来したことによるこうした被害者を明確にし、共有する必要があると考える。
日々僕は、児童虐待等の支援に関するスーパーバイズの仕事をしているが、これを日本の一エリアでの暴力事象という捉え方をせず、世界共通の出来事だと捉えたい。世界が「ミル・プラトー」してきたいま、子どもと女性という普遍的マイノリティが創出されている。
これに対して、人道主義も標榜してきた我々の社会は、一つの指標を打ち立てる必要がある。
今回のシリア難民の報道などをみても、21世紀が「人のグローバリゼーション」であるとは思う。数百万規模の難民をみていくと、僕としてはどうしても子どもと女性というマイノリティの問題を考える。
日本での階層化と暴力社会、世界的な難民の動き、そうした事態をひっくるめて、「ジンケン・グローバリゼーション」といった考え方が求められている。★
※Yahoo!ニュースからの転載 田中俊英 2015年10月02日