ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

失語症患者 社会復帰を

2015年10月04日 01時42分29秒 | 障害者の自立

◇友の会コスモス あす岡山で支援フォーラム

 失語症患者の復職支援などを考えるフォーラムが4日、岡山市中区の岡山旭東病院で開かれる。症状への誤解や、意思疎通がうまくいかないなどで、患者は社会的に孤立しがち。社会復帰の道筋を模索するのが狙いといい、企画した支援・交流団体は「一人で悩まないで」と参加を呼びかける。(安田弘司)

 失語症は、脳卒中などで言語障害が残り、言葉がうまく出てこなかったり、言い間違いをしたりといった症状がある。NPO法人・日本失語症協議会(東京)によると、全国の患者数は50万人以上いるとされる。

 会話が困難な一方、外見で障害がわからない場合は誤解を生じ、患者は孤立してしまう。悩みを深め、うつ病などになる人も少なくない。休職などで経済的に苦境に立たされることもあるという。

 身体障害者手帳と障害年金の等級は、失語症だけなら最高でそれぞれ3級、2級。受けられるサービスは限定的だ。公的支援も十分といえず、患者と家族らでつくる「岡山失語症友の会コスモス」(岡山市中区)がフォーラムを企画した。

 コスモスは3年前に活動を本格化。リハビリを兼ねたゲームやカラオケなどを楽しみ、悩みを語り合う集会、脳卒中の勉強会などを開いている。4日は午後1時半から、現状や課題を解説し、元患者の体験談や専門家の講演を予定する。

 言語聴覚士でもある伊沢幸洋代表(47)は「患者同士なら理解し合え、元患者の経験は、励みや目標になる。明日の生活をつくる方法を一緒に考えていきたい」と語る。

 参加無料。問い合わせは事務局の織田修弘さん(080・3875・1921)。

失語症患者のリハビリ。イラストなどを見て言葉を思い出す訓練などを繰り返す(岡山市中区の岡山リハビリテーション病院で)

失語症患者のリハビリ。イラストなどを見て言葉を思い出す訓練などを繰り返す(岡山市中区の岡山リハビリテーション病院で) 

2015年10月03日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



トリピーメールがカラー化 緊急・重要度で色分け

2015年10月04日 01時34分14秒 | 障害者の自立

 鳥取県は、携帯電話やスマートフォンに災害情報を届ける「あんしんトリピーメール」のカラー版の配信を始めた。緊急・重要度に応じて文字情報の背景を赤、黄、青の三つに色分けし、一目で情報の内容を判断できるようにした。

 昨年度、障害者団体と県との会議で出席者から「高齢者や知的障害者にも分かるよう改良してほしい」といった意見を受けて改善した。画像などを埋め込んで送信できるHTML方式を活用し、都道府県の防災関連メールでは、全国で初めて背景色付きメールを導入した。

 背景色は赤が「警戒が必要」、黄は「注意または啓発」、青は「警戒や注意の解除」。避難勧告や避難指示、気象警報、国民保護情報など最も重要な情報は赤、注意報や公共交通機関の運休情報などは黄で表示する。

 県ホームページ「とりネット」内で案内する専用メールに空メールを送信し、「背景色版」に変更、または登録すれば利用できる。県危機対策・情報課は「視覚による『気づき』を促し、速やかな避難行動などにつなげたい」としている。

緊急・重要度に応じ赤、黄、青の背景色で送られる

2015年10月3日     日本海新聞


「行政・公立=安心安全、民間・私立=なんだかヤバイもの」の誤解に立ち向かう

2015年10月04日 01時28分17秒 | 障害者の自立

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。常々申し上げている通り私は「小さな政府」をポリシーとしておりまして、前所属政党のスローガンの一つはまさに「民間にできることは民間で」というものでした。

国も自治体の財政も火の車となっている昨今において、行政が公民館やら公営住宅やらを運営する必要はまったくないのです。わかりやすい公営住宅については、以前にもブログで取り上げましたが、

都営住宅の倍率、数百倍。一方、都内の空家は75万戸以上… 
http://otokitashun.com/blog/daily/3230/

民間でできることを行政が行い、破格の値段で提供することは市場原理に悪影響を及ぼす可能性が高いわけですね。

そして何より、行政は民間企業であれば当たり前に行う「創意工夫・イノベーション」というものが極めて苦手な存在です。

例えば私の地元北区には、「北とぴあ」と呼ばれる公営施設があります。
https://www.city.kita.tokyo.jp/chiikishinko/kurashi/volunteer/shisetsu/hokutopia/hokutopia.html

大小様々なホールや会議室、商業施設などが入った17階建ての複合ビルで、王子駅から徒歩1分という最高の立地です

とある地元経営者の講演を聞きに行った際、「北とぴあの運営をうちの会社にまかせてみろ。あっという間に来館者も売上も激増してやる」と豪語されておりました。彼がそのやり方の一例としてあげていたのが、飲食店の活用。

現在の「北とぴあ」最上階の17階にあるのは、眺めの良い展望スペースと謎の飲食店が一店舗のみ。しかも、21時半までの営業であっという間に閉まります。

「駅前の一等地で、長めも良い場所の多くを展望スペースにして放置、入れる飲食店は一つだけなんてありえない。24時まで営業時間を延長して、複数の飲食店を入れて競合させる。これだけで、賑わいはまったく違う」ということを主張されていて、いやはやまったくおっしゃる通りだと思ったものです。

しかしながら、行政にはこういう発想はありません。昨年から指定管理制度が導入されて民間の会社が運営を委託されたようですが、この制度ではあくまで任されるのは決まった「運用」の部分のみ。

行政が持つ資産を有効に活用し、行政をスリム化しながら事業を活性化するためには「指定管理」ではなく「民間移譲」。これがあらゆる政策のキーワードになります。

※指定管理制度については、過去記事もご参照下さいませ↓
指定管理者制度と「特命指定」 
http://otokitashun.com/blog/togikai/1996/

さて、本日の厚生委員会では、東京都が所有・指定管理委託していた障害者自立支援施設などの福祉施設の民間移譲が協議されました。

東京都では石原都政時代の平成16年から積極的に民間移譲を進め、福祉作業所など30の施設が民間へと移譲されています。

「市場がある分野であれば、民間移譲をするのもわかるけど、福祉分野に民間移譲は馴染まないのでは?」と思う方は多いかもしれませんし、共産党さんなどはそうした理由で強く反対しています。

しかしこれは、必ずしも正しくありません。海外の事例を見れば福祉分野の多くは民間事業者が担っており、行政と協力をしながら福祉の充実を図っています。

福祉事業の場合、市場だけで運営費をペイすることは難しい場合が多いので、行政からの補助金がゼロになることはありませんけど、それでも事業者の創意工夫によって、行政が所有・指定管理していた時代よりもコストカットに成功する例がありますし、ショートステイや飲食事業展開など、移譲後に新たな施策を展開した例も多く存在します。

民間移譲後もしっかりと行政が連携・監督し、質の担保が重要となることは言うまでもありませんが、福祉政策が拡大し続ける中で、民間移譲・民間との連携という道は避けて通ることはできません。

というわけで、今後も積極的・迅速に民間移譲を進めるべし!という意見を、共産党さんが朗々と反対質疑を行った後に述べさせていただきました。笑

行政・公立=安心安全民間・私立=なんだかヤバイものというイメージは特に、福祉分野において根強く残っておりますが、必ずしもそうとは限りませんし、保育などの分野でもこの価値観を打ち破り、しっかりと「受け皿」を拡充していく必要があります。

今後も「民間にできることは民間で」の政策指針の元、世論の喚起と政策提言を行っていきたいと思います。

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帰り道にふと見上げると、ピンクリボンキャンペーンで都庁がセクシーになってました。明日も頑張ろう!

明日明後日は飛鳥山をメイン会場として行われる、「北区区民まつり」の稲門会ブースでお手伝いをしている予定です。
http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/guidemap/event-kuminmaturi.html

私は両日ともに午前中だけの参加となりますが、ご来場される方はぜひ覗きに来てください^^
似顔絵コーナーの運営をやってます!


誰もが音楽を奏でることができる世の中をつくりたい!

2015年10月04日 01時16分17秒 | 障害者の自立

「Bare Conductive」が開発した、障がい者でも使えるデジタル楽器って?

今年に入り、「Apple Music」や「LINE MUSIC」などの音楽ストリーミングサービスが相次いで発表され、誰もが手軽に音楽を聴くことができるようになりました。あまりの便利さに驚いたり、楽曲のラインナップに不満を抱きながら、既にそれらのサービスを利用している方も多いかもしれません。

このように音楽を聴くことが、より多くの人に開かれた一方で、音楽を奏でることはいかがでしょう? 楽器を演奏するためには練習やスキルが必要ですし、思ったように演奏できないと恥ずかしさを感じたり。まだまだ演奏するということが、一部の才能がある人や健常者の枠から広がっていないのではないでしょうか。

そこで今回は、「障がい者も含め、誰もが音楽を奏でることができる世の中をつくりたい!」というビジョンのもと、インクルーシブな楽器をつくっている会社「Bare Conductive」をご紹介します。

「Bare Conductive」は、ロンドンを拠点に活動するデザイン&エンジニアリングスタジオ。彼らは、障がい者でも使うことができるタッチ式のデジタル楽器を開発しました。この楽器は複雑な指使いも必要なく、ただ鍵盤に触れるだけで音を奏でることができます。

一般的に楽器というと、健常者でないと使いこなすことが難しいものが多いですが、見ていただいた通り、彼らの楽器は身体的な制約があっても、誰でも奏でることができます。そして、音楽を奏でることの持つ癒しの力を、障がい者をふくめたすべての人々に教えてくれるのです。

では、この楽器にはどのようなテクノロジーが使われているのか説明します。

使われているテクノロジーは、クラウドファンディングサービス「Kickstarter」を賑わせたことで有名になった、「Bare Conductive」の「Touch Board」や「Electric Paint」というものです。

「Touch Board」は、導電材料でさえあれば、どんなものにでもインタラクティブ性をもたらす回路基板で、「Arduino」という初心者でも扱いやすいマイコンボードをもとにつくられています。

そして、導電材料をダウンロード可能なmp3ファイルやモーションセンサーにつなぐことが可能。例えばウォールアートに、前に立っている人の動きによって音楽を流す機能をつけることもできるのだとか。

今回開発された楽器が、強い指圧も複雑な指使いも必要なく演奏できるのには、こういった自社の技術が不可欠だったわけです。

あえて商品化しない

実は、この音楽を奏でることを多くの人々に解放する楽器には、まだ名前がありません。そして商品として販売する予定もないのだとか。開発を担当した、Matt Johnsonさんはこう話します。

この楽器は、大量生産でつくることを目的に開発したものではありません。商品というよりも、我が社の「Touch Board」とコーディングの技術が何を実現することができるかを伝えるデモンストレーションです。

「Touch Board」は初心者でも扱いやすく設計されているので、これらの技術を使って人々が楽器づくりも楽しんでくれるといいなと思います。

「Bare Conductive」は、この楽器をつくるためのコーディングやデザインの技法をメーカーズ・コミュニティに公開しようと計画中。

その背景には「この新しいテクノロジーが音楽に対してもたらす自由の恩恵を、多くの人々にもたらしたい」、そして「音楽を演奏したいと思う全ての人に対して自由をもたらしたい」という思いがある様子です。

楽器が弾けなくても、音楽理論を理解していなくても、音楽を奏でることが楽しめる未来。

そして障害があっても、誰もが自己表現をすることができる未来。

そんな未来を実現するために、私たちが取り組むべきことって何なのでしょうか。ぜひこの機会に、みんなで考えてみませんか?

 

[via Make:Bare Conductive]

 Yesterday - 2015.10.03

 


21世紀は「ジンケン・グローバリゼーション」の時代

2015年10月04日 01時12分59秒 | 障害者の自立

■人権は死語か

人権あるいはヒューマンライツというと、日本ではほとんど死語になっているかもしれない。

いや、差別や在日差別、また障害者差別や女性差別など、マイノリティ全般への差別はしっかり残っていることは僕はわかっているつもりだ。

が、長らく続いてきた「ミドル(中流)クラスの時代」が、それらマイノリティ差別をいつのまにか隠蔽してしまった。また、長らく続いてきた「平和の時代」が、そうした激しい社会的摩擦を結果的に隠蔽してしまった。

それが、失われた20年を経過しリーマン・ショックを経て東日本大震災を過ぎると、日本はしっかり「階層社会」となっていた。

相対的貧困層(月9万を切る手取り収入)が2,000万人(僕のこの記事参照階層社会とは暴力社会)、非正規雇用者が全労働者の4割等のよく知られたデータを見るだけでも、相当エグい事態になっていることが実感できる。

またアンポ法が成立してしまい、来春にも自衛隊が中東に「集団的自衛」させられる日が来ようとしている。そうなると、よく知られた平和憲法に守られたこれまでの日本人のあり方ではすまされず、海外ではもちろん、国内でも「テロ」の標的になるかもしれない。

海外での献身的なNGO活動(例えばアフガンでの中村医師等)といえどもこれまでどおり中立的な活動はできない(中村氏のこのインタビュー参照「テロの標的になる可能性高まる」 NGOに広がる懸念)。

■本当の資本主義

このように、経済的平等の時代、平和の時代ははっきりと過ぎ去り、なんの時代かはわからないが、新しいフェーズに日本社会は入ってしまった。

近場の外国である朝鮮半島でさえ飛行機が必要な我が国は「島国」ではあるが(歴史的人為的に区切られたロシアとの境界は、距離的近接性の割に心理的遠隔地であるという国内の感覚が今では興味深い)、諸外国の動きがやはり遠い。

が、日本では相対的貧困層が増大し結果として平均年収が伸びないでいるものの、世界的に見ると「豊か」になっている(世界の”貧困層”は確実に減少している)。

グローバリゼーションが進行すると、世界的にみれば超貧困層が上昇していき、先進国でのミドルクラスが下降していくことと合わせ、中の下あたりで均衡がとれると10年ほど前に議論されていたことを僕はよく覚えている。

まさにその事態がいま進行しており、先進国のひとつであった日本は完璧に階層化してアンダークラス増大+平均年収低下が進行し苦しんでいるものの、世界的にみれば絶対的貧困層が減少していっている。

これまで富を享受していた一部の国が階層分断化させられ、一部の国内で「持たない者」が生み出され苦しみ、「持つ者」は以前以上に持つことになり、富を享受する。

これが本当の資本主義であり、マルクスが150年前に予言したグローバリゼーション・キャピタリズムが、いまやっと到来した。

それは、フランスの哲学者ドゥルーズとガタリが予言したとおり非常に活発で躍動的で暴力的な社会ではあったけれども(『ミル・プラトー』や『アンチ・オイディプス』参照)、いざその事態になってみると、この70年間ミドルクラスで平和な時代を享受してきた我々島国の人々には、とても過酷な事態だったのだ。

■子どもと女性というマイノリティの創出

だからこそ僕は、今、「ジンケン」を再定義する時が来たと思う。

人権はもはや人権でもヒューマンライツでもなく、大正時代に宣言が呼びかけた「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」の意味を再びもって「ジンケン」として蘇る時が来た。

冒頭に書いたとおり、差別はこの 70年もずっと続いている。

が、一億総中流の迫力に押され、そうした差別事象は一部の心ない人々が起こしてしまう例外のような扱いをされてきたのではないか。

僕は、マジョリティ(多数派)が抱える差別意識はそんな単純なものではなく、マジョリティ全般に根付くしぶといものだと思う。だがそれは、どちらかというと「構造的」問題というよりは、歴史的因習のようなものとして理解されていた。歴史的な因習さえ打破すれば、経済構造事態は一億総中流化されたのだから、なんとかなる、というような。

人々の意識を変え、価値を問い直す、これを持続・維持していくことで、「人権」は理想に近づく。

が、現在起こっている問題は、経済格差による貧困層の増大と、拡大した貧困層内でのさらなるマイノリティの創出だ。

それは言い換えると、子どもと女性という被害者・マイノリティの創出であり、事象としては児童虐待・性暴力・DVなどに現れている。

子どもと女性はこれまでもマイノリティではあったものの、貧困層拡大によってさらなるマイノリティとなっている。ここが、「ジンケン」が創出されるポイントだ。

■ジンケン・グローバリゼーション

僕は、ジンケン・グローバリゼーションというような新たな概念をうちたて、本当の資本主義が到来したことによるこうした被害者を明確にし、共有する必要があると考える。

日々僕は、児童虐待等の支援に関するスーパーバイズの仕事をしているが、これを日本の一エリアでの暴力事象という捉え方をせず、世界共通の出来事だと捉えたい。世界が「ミル・プラトー」してきたいま、子どもと女性という普遍的マイノリティが創出されている。

これに対して、人道主義も標榜してきた我々の社会は、一つの指標を打ち立てる必要がある。

今回のシリア難民の報道などをみても、21世紀が「人のグローバリゼーション」であるとは思う。数百万規模の難民をみていくと、僕としてはどうしても子どもと女性というマイノリティの問題を考える。

日本での階層化と暴力社会、世界的な難民の動き、そうした事態をひっくるめて、「ジンケン・グローバリゼーション」といった考え方が求められている。★

※Yahoo!ニュースからの転載  田中俊英    2015年10月02日