従姉妹Kちゃんの訃報(2/4)

( 冬空の飛行機雲 1/18 )
先日 弟からメールが来た
やがて父の13回忌があるから
その確認か寒波のことかと思って
メールを見ると
「福岡に住む従姉妹のKちゃんが
亡くなった」との連絡だった
初めは 思わず
「えっ⁈ あのKちゃん?」
と呟き しばらくは 文面を
読み返しても信じられなかった
確か私の父や母の葬儀などにも
遠方から夫婦で
わざわざ駆けつけてくれたほど
懇意にしていた間柄だった
両親の親戚の中では
数少ない従姉妹の一人だった
あれは確か私が大学生だった頃
別の大学生の彼女Kちゃんは
わざわざ私の家を訪ねて来て
しばらく話を交わしたことを
今でも懐かしく思い出す
何で来たのかその意図は
わからなかったが
今思えば もしかして
私の人となりを確かめるために
私の所に来たのかも?と考えるが
これはあくまでも私の推測だ
(当時 年頃の私たちを それぞれの両親が それとなく話して 引き合わせたのかも⁇ などと 50年後の今頃考えてみるが その真相は 今では謎の中だ ただ 現在の私にとっては 謎は謎のままが それはそれでいいのかもしれないと思う)
彼女は 家父長制が色濃く残る田舎で
暮らしていて 気立てが良くて
愛嬌のある可愛い顔をしていた
大正生まれの父親(伯父)は
当時珍しかった旧制中学卒の篤農家で
新規の事業にチャレンジしていた
正直 当時(1975年頃?)の私は
初心(うぶ)で奥手だったから
大学の4年間では
特定の親しい女性はいなくて
卒業の時は 25歳で
当時はいわゆる適齢期であった
(私は 男だけの5人兄弟で育ち 高校もほぼ男子だけの学校で 就職したら工場でも 男性が占める職場で 日常生活で 女性と巡り会うことは ほとんどなかったので 若い女性とどう向き合い どう話していいのか 正直ほとんどわからなかった😅 その後の大学の学部や二つ目の職場は 逆に女性が多い世界だったが 苦手意識は 引きずったままであった)
だから Kちゃんと会った時は
鈍い私も さすがにドキドキして
こんな僕にも会ってくれる?人が
いることに驚きかつ惑(とまど)った
その時話したことは
学校のこととか読書のこととかで
あったと思うが 詳しくは忘れた
だから その後は
スマホもない時代だったから
互いに連絡を取り合うこともなく
二人で会うことはなかった
(ただ 私の就職後 従姉妹の兄が 写真持参で ある人の見合い話を持ちかけたことがあった だけど その頃ようやく職場のJ (現在の妻)と付き合い始めていて 申し訳ないが断った)
ps 2025.2.6 草稿
その頃 Kちゃんには Tお兄ちゃんがいて 私の兄弟と一緒に男だけで 長崎南部の海岸で キャンプをしたこともある仲だった そのTさんは 私が「本好き」で その頃部屋に本棚を何台か並べていたことを 何人かの人に話していたことを耳にしたし 書籍(予算の都合で文庫本が多かった)の分野のことも いくらか知っていたかもしれないと思う ただ その従兄弟Tさんも、従姉妹のKさんも 黄泉の国に行った今では 確かめる術はなくなった
🌠ここに改めてKさんの訃報に接し 深く哀悼の意を表します(蛙 🐸)