哲ノート

gentle heart!! ヤサシイココロ・オトナノココロ

シャワーありきの生活

2017-08-21 01:29:27 | ちょっと気になる
公共の銭湯に行くと、湯舟に浸かる前にカラダ洗うでしょ。(汗を流すでしょ)

カランのまえに座ってさ、“ケロリン”の黄色い桶に湯をはって、まずはザブゥ~ンとやってからカラダを洗うわけだ。

まあなんでもない、至極当然のオコナイ(マナー)。

そこへあとから入ってきて、となりに座った若者3人組

座るなり3人が3人ともいきなりシャワーを手に取ってジャ~とやりだした。(しかもまったく同じ動き!!)

ジャ~とやるのは勝手で別に(他人だから)どうってことないんだが、勢いよく自分にかけているつもりが、周りに飛び散らかしているもんだから

自分を含め周りの人から「白い眼が…」(そこにカラダに絵が描いてある人がいたらと思うと、ひぇ~恐!!)

小さい時から自分の家で自分一人で風呂に入るのが当たり前な生活習慣。そこには「他人」というものが当然存在していないのだから、「他人への気配り」なんてありゃしない。

こういう公共の場であっても、シャワーを手に取り“いつもの調子”でジャ~ジャ~やらかしてもなんとも思わないのだ。

たぶん生まれた時から「シャワー」というものがある生活で、家庭風呂だから一人で入浴するもの、そんな生活習慣しか味わったことがないのであろう。

自分はまだシャワーというものがなく、桶が当たり前の時代の人間。しかも隣近所のコミュニケーションの場であった銭湯が楽しみだった子供時代をすごしています。

当然こういった公共の場での立ち振る舞いというものを(その頃の)オトナから教えてもらい、あたりまえのマナーというものを持ち合わせているつもりです。(気配り・心配り…)

銭湯巡りをしていて、時々このような場面に出くわします。そういう生活習慣しか知らないのであれば、ある程度しかたがない面もありますが、あきらかにこういった場面が増えつつあるように思えるのです。

銭湯(温泉)という赤の他人と触れ合う公共の場での立ち振る舞い、気配り、心配り…というものがだんだんと希薄になることに…すごく危惧しています。

コメント
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