このタイトルで2月1日の毎日新聞に記事を書いたのは、在野の精神科医 斎藤環氏(ひきこもりの研究で有名)
タイトルを見ると誰のことだが何となく分かるが、ホリエモンがニートというのは、疑問がある。氏の記事を引用すれば、”労働と勤勉さの価値を否定し、(「稼ぐが勝ち」とはそういうことだ)、私生活をブログで公開し、至る所でで挑発的言動を繰り返す。。しかし、なによりも彼がニート的だったのは、「家族」を否定し続けていたところではなかったか”としている。しかし、ニートとひきこもりがほとんど同義語とするなら少しは理解もできるが、ニートが「家族」を否定しているというのは違うのでは。
それは、別にして負け組であるニートやフリーターが、何故、勝ち組の代表であるホリエモンを支持したり、格差化を促進する小泉内閣を支持したのかという氏の説明は、そのとおりだと思う。彼らは、小泉改革が格差化を広げるということは、理解した上で格差化の進行は自分たちの仲間が増えるという意味で歓迎している。少しだけ上の中間層は、怨念の対象となるが、全く手の届かない圧倒的勝ち組は、自分たちとは無縁のスターのようなものであり、見物や批評の対象でしかないからと指摘している。
しかし、これは異常なことである。日本が経済政策の誤りで不景気を経験したからといって、少しばかり不景気を早く脱出した米国のやり方を何から何まで模倣するというのは無謀である。現にミシシッピー州におけるハリケーン被害者の惨状を見て、私たちは、米国のすざましいまでの格差社会の現実が実感したではないか。米国の押し売りのグローバリゼーションは、日本という国柄を全く無視したものである。
ところで、ある地方紙に下流社会というのは、単に流行語に過ぎなくて、格差の進行による階層化の恐れはないというような記事が載っていたが、今の小泉改革なる政策がそのまま進行されれば現実となる。そうはならないと主張するのは、「地球温暖化」を否定している人々と同じではないだろうか。
タイトルを見ると誰のことだが何となく分かるが、ホリエモンがニートというのは、疑問がある。氏の記事を引用すれば、”労働と勤勉さの価値を否定し、(「稼ぐが勝ち」とはそういうことだ)、私生活をブログで公開し、至る所でで挑発的言動を繰り返す。。しかし、なによりも彼がニート的だったのは、「家族」を否定し続けていたところではなかったか”としている。しかし、ニートとひきこもりがほとんど同義語とするなら少しは理解もできるが、ニートが「家族」を否定しているというのは違うのでは。
それは、別にして負け組であるニートやフリーターが、何故、勝ち組の代表であるホリエモンを支持したり、格差化を促進する小泉内閣を支持したのかという氏の説明は、そのとおりだと思う。彼らは、小泉改革が格差化を広げるということは、理解した上で格差化の進行は自分たちの仲間が増えるという意味で歓迎している。少しだけ上の中間層は、怨念の対象となるが、全く手の届かない圧倒的勝ち組は、自分たちとは無縁のスターのようなものであり、見物や批評の対象でしかないからと指摘している。
しかし、これは異常なことである。日本が経済政策の誤りで不景気を経験したからといって、少しばかり不景気を早く脱出した米国のやり方を何から何まで模倣するというのは無謀である。現にミシシッピー州におけるハリケーン被害者の惨状を見て、私たちは、米国のすざましいまでの格差社会の現実が実感したではないか。米国の押し売りのグローバリゼーションは、日本という国柄を全く無視したものである。
ところで、ある地方紙に下流社会というのは、単に流行語に過ぎなくて、格差の進行による階層化の恐れはないというような記事が載っていたが、今の小泉改革なる政策がそのまま進行されれば現実となる。そうはならないと主張するのは、「地球温暖化」を否定している人々と同じではないだろうか。