東国原宮崎県知事の定例記者会見に対する言及については、テレビでも詳しく報道されていた。知事の言い方はきつく、一方的な話ではあったが、知事の問題提起は少しは理解できる。
確かに知事はメディアのおかげで有名になり、十二分に恩恵を受けていることは、間違いのない事実である。しかし、知事の「特にこれといった事案もないような時にでも記者会見をする必要はあるのだろうか。」という疑問を持つのも分かる。他の多くの首長は、メディアを敵に回したくないので、言わないだけではないのか。
最近の新聞などを見ていると、県庁にいる各報道機関の記者(県政記者と呼ばれている。)の記事は、定例記者会見で知事が話した内容をそのまま書いているだけとしか思えないものが多い気がする。
県民に関わる重大な事案が発生したときに行うような緊急の記者会見は別として、定例の記者会見は、与えられた機会を利用し、県庁に都合のいいような事案を事前に準備して、積極的に話すにことを前提にしているからだ。その程度なら、広く県民に知ってもらえるよう県のホームページに順次載せるとか、県政記者に資料を提供することでこと足りるからだ。(知事の問題提起に反論する記者に対し、知事も「それなら私の話した内容を全部載せてくれるのか。」と逆に質問していた。)
メデイアは、「記者会見は、記者の知事への1対1の質問が重要だ」と指摘するかもしれないが、相手がメデイアを通じてPRしてもらおうと話そうとしていることに、それほど突っ込む質問もないのでないか。知事本人のことについて質問することは別だろうが、定例記者会見で関係のない他の事案の質問をすることはルール違反であり、しても核心には触れられないだろうからだ。常々疑問に思っていることがあれば、所管の部局長なりに積極的に取材すればいいことだからだ。
本来、記者は、国民の目線に立って、独自の取材をするなどして、記事を書いたり、報道するものである。お膳立てされた定例記者会見の内容をそのまま受け売りで書くのでは、県の「有料広報誌」の役割を果たしているに過ぎないのではないか。知事は、昔(タレント時代)のように無謀な行動に出たのではなく(今後のことは知らないが)、これらの事実も十分承知したうえで、あえて問題提起したもと思われる。
情報の中身を吟味せずに、自治体の情報公開度を記者会見の回数で測るのはいかがなものか。私は、知事が記者より偉いとは全く思っていないし、別に、東国原知事の肩を持つわけでもない。しかし、メディアの怖さを骨身に応えて知っている知事だけに、県政記者に投げている問いかけは、あながち県民軽視やメディア軽視とは言えない側面があると思う。
別に首長をはじめとする行政側と記者は敵対関係である必要はないが、「県政記者と知事が定例的な飲み会をしている。」と書いてある記事をよく見るが、実態はどうなのか。
開かれた民主主義において、メディアの果たす役割は大きく大切な事だとは思う。しかし、インターネットの普及で既存のマスメディアの存在意義が問われている現在、批判精神を忘れたらマスメディアの意義もないのではないか。
「メデイアは、県民の代表として質問している。」という記者の発言で思い出したが、県民からのメールなどに知事が答えるというコーナーがいくつかの県にあるようだ、質問者本人の名前までは公表しなくてもよいが、どのようなやりとりがあるのかについても県庁のホームページで見られるようにしてもらいたい。(投稿者が拒否の場合を除き)
県民がどんなことにどれだけ要望や疑問を持っているのか、また、それに対して、どのような方針で臨むのか、リアルタイムで分かるからだ。ただし、それをすると、やらせの質問が多くなるかも知れないが。
確かに知事はメディアのおかげで有名になり、十二分に恩恵を受けていることは、間違いのない事実である。しかし、知事の「特にこれといった事案もないような時にでも記者会見をする必要はあるのだろうか。」という疑問を持つのも分かる。他の多くの首長は、メディアを敵に回したくないので、言わないだけではないのか。
最近の新聞などを見ていると、県庁にいる各報道機関の記者(県政記者と呼ばれている。)の記事は、定例記者会見で知事が話した内容をそのまま書いているだけとしか思えないものが多い気がする。
県民に関わる重大な事案が発生したときに行うような緊急の記者会見は別として、定例の記者会見は、与えられた機会を利用し、県庁に都合のいいような事案を事前に準備して、積極的に話すにことを前提にしているからだ。その程度なら、広く県民に知ってもらえるよう県のホームページに順次載せるとか、県政記者に資料を提供することでこと足りるからだ。(知事の問題提起に反論する記者に対し、知事も「それなら私の話した内容を全部載せてくれるのか。」と逆に質問していた。)
メデイアは、「記者会見は、記者の知事への1対1の質問が重要だ」と指摘するかもしれないが、相手がメデイアを通じてPRしてもらおうと話そうとしていることに、それほど突っ込む質問もないのでないか。知事本人のことについて質問することは別だろうが、定例記者会見で関係のない他の事案の質問をすることはルール違反であり、しても核心には触れられないだろうからだ。常々疑問に思っていることがあれば、所管の部局長なりに積極的に取材すればいいことだからだ。
本来、記者は、国民の目線に立って、独自の取材をするなどして、記事を書いたり、報道するものである。お膳立てされた定例記者会見の内容をそのまま受け売りで書くのでは、県の「有料広報誌」の役割を果たしているに過ぎないのではないか。知事は、昔(タレント時代)のように無謀な行動に出たのではなく(今後のことは知らないが)、これらの事実も十分承知したうえで、あえて問題提起したもと思われる。
情報の中身を吟味せずに、自治体の情報公開度を記者会見の回数で測るのはいかがなものか。私は、知事が記者より偉いとは全く思っていないし、別に、東国原知事の肩を持つわけでもない。しかし、メディアの怖さを骨身に応えて知っている知事だけに、県政記者に投げている問いかけは、あながち県民軽視やメディア軽視とは言えない側面があると思う。
別に首長をはじめとする行政側と記者は敵対関係である必要はないが、「県政記者と知事が定例的な飲み会をしている。」と書いてある記事をよく見るが、実態はどうなのか。
開かれた民主主義において、メディアの果たす役割は大きく大切な事だとは思う。しかし、インターネットの普及で既存のマスメディアの存在意義が問われている現在、批判精神を忘れたらマスメディアの意義もないのではないか。
「メデイアは、県民の代表として質問している。」という記者の発言で思い出したが、県民からのメールなどに知事が答えるというコーナーがいくつかの県にあるようだ、質問者本人の名前までは公表しなくてもよいが、どのようなやりとりがあるのかについても県庁のホームページで見られるようにしてもらいたい。(投稿者が拒否の場合を除き)
県民がどんなことにどれだけ要望や疑問を持っているのか、また、それに対して、どのような方針で臨むのか、リアルタイムで分かるからだ。ただし、それをすると、やらせの質問が多くなるかも知れないが。