渡月橋を見た後に北野天満宮に紅葉を見に行った。
楼門
社殿(国宝)
さすが、学問の神様、拝殿前に受験生とおぼしき人たちが列をなして並んでいた。
天正15年10月1日(1587年11月1日)、ここ北野天満宮で関白太政大臣の豊臣秀吉が大規模な茶会を催したことは知っていた。しかし、当初10日間の
開催の予定であったのが、翌2日には突如茶会は中止され、その後も再開されぬまま終了となった。ということについては知識がなかった。中止の理由
として、1日の夕方に肥後国人一揆が発生したという知らせが入り、秀吉が不快を覚えたからだという説が当時からいわれていた。このほか、秀吉の
予想より人々が集まらず、続行するとイベントの失敗が世間に晒されるので、その前に取り辞め、曖昧のままに終わらせたとする識者もいる。
撮影日は、11月8日、紅葉狩りの時期としては、早すぎたようだ。
紅葉を鑑賞した後、「もみじ苑」に出店している和菓子の名店「老松」のお菓子とお茶をいただいた。入苑料の600円にこの老松さんのお茶とお菓子が
セットになっていた。
紅葉するのが早い木もあるようだ。
楼門
社殿(国宝)
さすが、学問の神様、拝殿前に受験生とおぼしき人たちが列をなして並んでいた。
天正15年10月1日(1587年11月1日)、ここ北野天満宮で関白太政大臣の豊臣秀吉が大規模な茶会を催したことは知っていた。しかし、当初10日間の
開催の予定であったのが、翌2日には突如茶会は中止され、その後も再開されぬまま終了となった。ということについては知識がなかった。中止の理由
として、1日の夕方に肥後国人一揆が発生したという知らせが入り、秀吉が不快を覚えたからだという説が当時からいわれていた。このほか、秀吉の
予想より人々が集まらず、続行するとイベントの失敗が世間に晒されるので、その前に取り辞め、曖昧のままに終わらせたとする識者もいる。
撮影日は、11月8日、紅葉狩りの時期としては、早すぎたようだ。
紅葉を鑑賞した後、「もみじ苑」に出店している和菓子の名店「老松」のお菓子とお茶をいただいた。入苑料の600円にこの老松さんのお茶とお菓子が
セットになっていた。
紅葉するのが早い木もあるようだ。