観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

今日のショック

2014年11月19日 | 日記
1969年の2月から72年の3月まで東京の東小金井のぼろ(ぼろと言えば家主さんに悪いので、家賃の高くない)アパートに住んでいた。
ちょうど、そのアパートに九州の進学校出身の仲良し3人の学生がいた。
彼らとビリヤードをしたり、麻雀をしたり遊んだこともある。東小金井駅の西にあった「開かずの踏切」を渡った所にある銭湯が
休業していた時は、何度か一緒にタクシーに同乗して、武蔵小金井にある銭湯まで行ったこともある。
3人組の1人だけは、真面目で、浪人もしてなく、中大を4年で卒業し、住友3Mに入社した。残りの2人は、私が卒業した時もまだ
留年中だった。
そのうちの電気大の1人は、アパートの隣に同じ家主が夫婦用のアパートを建てた時、そこに移り、同棲を始めた。1人が卒業して
抜けた後の麻雀メンバーに、東小金井駅前で焼き鳥の露天商をやってたお兄さんが加わり、彼の家で何度か麻雀もしたこともある。
残る1人は何学部だったか忘れたが、中大の応援団員だった。彼は、TVドラマ「スーパーナチュラル」の2人の主人公の兄役、
ジャンセン・アクレスのように男前で男臭い学生だった。彼の部屋には、よく、綺麗な女性が入れ替わりで来てた。応援団の活動以外に
よくやっていたのは、いろんな大学の全共闘学生を叩きのめす事だった。
突然、学生時代の話になったのは、彼の部屋の壁に映画館から失敬してきた高倉健さんの映画の大看板をかけていたのを思い出したからだ。
今日は、どこのTVチャンネルも健さん死亡の話題で持ちきりだ。私の学生当時、高倉健の演ずる主人公は、左翼や右翼の学生からも暴力の
嫌いな私のようにノンポリ学生からも愛されていた。当時から健さんのプライベートはあまり漏れていなかったが、病気だったことは知らず、
突然の訃報に驚いた。
男性の平均寿命が約80歳だから83歳という年齢なら亡くなってもおかしくはないが、実年齢を全く感じさせない彼が亡くなったのは
ショックだった。205本という彼の出演本数からいえば少ないが、昭和残侠伝シリーズ全9作のほとんどと最後の作品の2年前の「あなたへ」
など30作品くらいは見てる。ご冥福をお祈りします。
朝、TVで見た訃報のショックが大きかったのか、食後に出島島野鳥園へ行ったが、現地で車のトランクを開けてびっくり。双眼鏡もカメラも
持たずに行ってしまってた。久しぶりのバードウォッチングだったのだが、ちょうど、駐車場にいた帰り支度の先客2人の「2時間以上いたけど、
お目当ての野鳥は来なかった。」と言う話を聞いて、ほっとして帰った。
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