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写真は、悠仁親王のお印に決まった我が家の高野槇(コウヤマキ)
皇族に「お印」が与えられたのは、 江戸後期の光格天皇(在位1779年~1817年)の子どもたちが最初とされるが、内々のしきたりなので記録にも残されておらず、詳しいこは分からないらしい。この天皇は、傍系出身のためか、中世以来途絶えていた朝廷の儀式の復興に熱心だったようだ。
お印は、身の回りの品物に自分の名前を書くのがはばかられるため、始まったという。また、近しい人の間では、お印を名前代わりに使われたりするそうだ。
お印といえば、別に皇室フリークというわけでもないのに、狭い庭にもかかわらず、家人がコウヤマキの横に常陸宮殿下のお印の黄心樹(オガタマ)も植えている。
皇族に「お印」が与えられたのは、 江戸後期の光格天皇(在位1779年~1817年)の子どもたちが最初とされるが、内々のしきたりなので記録にも残されておらず、詳しいこは分からないらしい。この天皇は、傍系出身のためか、中世以来途絶えていた朝廷の儀式の復興に熱心だったようだ。
お印は、身の回りの品物に自分の名前を書くのがはばかられるため、始まったという。また、近しい人の間では、お印を名前代わりに使われたりするそうだ。
お印といえば、別に皇室フリークというわけでもないのに、狭い庭にもかかわらず、家人がコウヤマキの横に常陸宮殿下のお印の黄心樹(オガタマ)も植えている。