観・環・感

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南九州の旅(霧島神宮と坂本龍馬)

2013年10月19日 | 旅・風景・グルメ


天照大神の孫であるニニギノミコトが三種の神器を譲り受け、お供の7人の神と猿田彦命の道案内で高千穂の峰に降りたというのが天孫降臨神話。
このニニギノミコトを祀ったのが霧島神宮。古代の建立場所は、火山の影響で炎上を繰り返し、場所を移動してもたびたび炎上した。当地の現在の
社殿は、島津藩主の島津吉貴1715年に建立したもの。

霧島神宮で有名な話は、坂本龍馬の新婚旅行先の一つであったこと。
京都伏見の寺田屋事件で九死に一生を得た坂本龍馬が妻のお龍(りょう)と1886年、西郷隆盛らのすすめで、日本最初といわれている88日間
の新婚旅行をした。
この旅行中、龍馬は姉の乙女にたびたび手紙を書いている。だから、私たちは龍馬夫妻の新婚旅行の様子を窺うこともできるのだ。
ところで、坂本龍馬が人気が非常に高くなったのは、1962年に産経新聞夕刊で連載が開始された司馬遼太郎の「龍馬が行く」という小説による
ところが大で、つまり、昭和の中頃からである。
その証拠の一つが昭和4年、歌人の吉井勇が雑誌「キング」4月号(講談社)に書いた「或日の龍馬」という坂本龍馬の新婚旅行の記事。
この昭和4年に書かれた記事が発見され話題になったのが、2009年つまり最近という事実だ。
吉井勇の祖父である吉井幸輔は、幕末の京都で活動した薩摩藩士で、龍馬とは親友であり、龍馬に西郷隆盛を引き合わせたのも彼でないかとされている。
そして、彼は龍馬の鹿児島への新婚旅行の案内もしている。当時、彼は自分の10歳の息子幸輔(勇の父)一緒に連れて行っている。龍馬の信奉者の
祖父でなく、当時10歳でいわば純真だった父親、幸蔵の晩年に聞いた話を元に記事にしているのだ。だから、記事の内容はかなり正確ではないかと思う。
記事の内容からは、やはり龍馬の時代の世間一般の男児と龍馬の意識や行動とは相当違っているが、そこがまた大変魅力のある人物であることが分かる。



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