観・環・感

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浦池とチョウトンボ2

2010年08月05日 | 日記
讃岐山脈の南麓にある阿波市土成町のこの「浦池」と言う名前のため池を検索すると、徳島新聞の記事が見つかった。記事によると“浦池を築いたのは、阿波の国司だった山田古嗣。
古嗣が阿波へやってきたのは八四六年。ちょうど平安時代初めのことです。同じ時代に活躍した人物としては、お大師さんの名で知られるお坊さんの弘法大師空海がいます。古嗣は
七九八年、京都で生まれました。父は宮中に仕えた貴族で、古嗣も成長すると役人になります。八二六年に陸奥の地方行政を監督する按察使となったのをはじめ、宮中で政策を考える内記、
政策を実行する外記など重い役職につきます。仕事ぶりはとても優秀で、いろいろな知識を持っていました。だから、日本後紀という歴史書の編集に加わったほか、他の貴族や役人の顧問と
なって政策のアドバイスもしています。
吉野川にはたっぷり水がありますが、田んぼや畑に水を引く用水が整備されておらず、川の水が届かない場所が多かったのです。米作りは田んぼに水を引かなければなりません。だから、
水の少ないところで米は作れなかったのです。特に阿波市から三好市までの吉野川北岸はたびたび干ばつになり、米以外の作物さえ作れないことがよくありました。土成町の名物は「たらいうどん」
ですが、これは米を作りにくい土地の人たちが、麦をおいしく食べるために工夫して生み出したものなのです。そこで古嗣はため池と用水を築いて農家の人たちを助けようとします。”
お隣香川県のうどんも美味くて有名だが、そういう理由だったのか。
ところで、讃岐山脈の北麓にある弘法大師が造ったという満濃池のほうは何度か行ったが、この浦池のことも山田古嗣も全く知らなかった。池のスケールは全く違うが、同時代の人だったということは、
この頃にかんがい用のため池が各地に造られたのだろうか。








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