観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

徳島市役所玄関

2007年04月15日 | 日記
天気予報では土曜日は絶好の鷹日和と思ったが、風が強く吹いていたため、タカはほとんど飛ばなかった。鳥はあきらめ、徳島県の陶芸家20人の作品展を見に行くことにした。気持ちいい天気なので、風景写真を撮りながら歩いた。
徳島市役所の玄関側に映画「眉山」の大きなポスターがあった。映画の上映は、徳島の観光PRのチャンスだからだ。5月12日から全国の東宝系映画館で公開されることになっているが、ヒットすればいいのに。キャストの予想は当たらなかったが、原作が良かったので前売り券を買った。
ところで、陶芸作品のほうは、実物の方が新聞で見るよりずっときれいな作品があった。作家は「大谷焼」の窯元だが、感じいい青年だった
作品展は撮影禁止のため見せられないのが残念。
大谷焼は徳島県鳴門市の四国八十八カ所一番霊場の近くで作られている。
大谷焼については、大谷焼でスローライフが詳しい。

西洋十二単

2007年04月13日 | 日記
この花の名前を家人に聞いたら十二単と言う。
写真を撮ったときは、小雨に少し濡れしっとりとした感じだったので、なるほど言い得て妙な名前だなと思った。
しかし、翌朝晴れたときに見たら優雅な感じはするが、大和撫子のように楚々としたたたづまいというより少々けばい。
ネットで調べてみると西洋十二単(和名)という外来種のようだ。
聞けば、この花、20年も前にお隣の人から「十二単」ということでもらった花らしい。家人によるといくら抜いても翌年どこかに出てくるらしい。でも、この花が毎年咲いていることに、20年間も間気がつかなかったことより、ブログの題材を探そうと目ざとくなっている自分に驚いた。


ヒヨドリと桜

2007年04月10日 | 野鳥
写真の鳥は普通のヒヨドリと思うが、光線の具合で体下面が茶褐色に見えるので、タイワンヒヨドリ(本物は見たことはないが)のようにも見える。桜の蜜を吸っているのでクチバシが花粉だらけになっている。
ヒヨドリは普段、木の実を主に食べているが、繁殖期は果実に加え昆虫類も多く採
餌している。糖分が好きでツバキやサクラなどの花の蜜をよく吸っている。また、ミカンやリンゴなどの半切りを木の枝に刺しておくとすぐにやって来る。また、スズメ目(ウィキペディアによると、鳥類の分類の一つで、世界中に広く分布している人間にとって最もなじみの深いグループ。9千種とも1万種ともいわれる現存する鳥類の約半分にあたる5300~5500種がスズメ目に含まれる)としては、大きな鳥なので他の鳥が食べているとすぐに追い出す。
「ヒヨドリの文化大革命」と題したwebページを読むと、ヒヨドリは今から20年ほど前までは、山林で繁植し、晩秋に平野部にやってくる漂鳥だったらしい。それが、今では全国どこでも一年中生息する留鳥となったのが多いらしい。その要因は冬野菜の栽培が盛んになったせいではないかというような書いていた。
実際、キャベツなどの野菜をよく啄んだりするので嫌われている。

いいこと教えてやろうか。

2007年04月09日 | 野鳥
右の兄貴分のコガモが左の図体の大きい弟分のカルガモに向かって何か言ってるようだ。「おい、見ろよあいつ(キンクロハジロ)、俺はそろそろ国に帰らなければ行けないが、その前にいいこと教えてやろうか。」と粋がってるような光景。
カモ類はだいたい冬鳥だが、カルガモは留鳥。

しだれ桜

2007年04月07日 | 日記
雨でさえなければ鳥を見に行こうと、普段の日と同じ時間に起床し準備をしていたが、雨は今にも降り出しそうだった。
毎年、この時期になると各地の桜も気になるのだが、最近はどうしても足が鷹の渡りのほうに向いてしまう。今日は、タカはあきらめた方がほうがいいと思いながらも望遠レンズなども用意して、家から5kmくらい離れた山あいにある大きななしだれ桜を見に行くことにした。
所有者の農家の方が大切に育てている桜だが、大勢の人が見にくるので大変だ。縁台や食事用のテーブル、椅子に投光器、篝火まで用意をしている。トイレの案内も書いてある。すべて桜の持ち主のボランティアである。
幸い、今日は時間が早いのと天気が良くないので、ゆっくり堪能できたが、帰る頃には大勢の人がやって来た。






奈良美智

2007年04月05日 | 日記
この鳥はシロチドリだが、こちらを睨んでいるようなこの写真を見て、奈良美智の書く女の子の顔を連想した。
奈良美智は、「ネオポップ」と呼ばれるポップアートの世界の売れっ子で、特に不二家のペコちゃんを少々不気味にしたような顔の女の子の絵が有名である。この
奈良美智:Saucer Tales 展
の絵を見るとなるほどと思う人もいるのでは。そう思うのは、私だけだろうか。
奈良美智という名前の漢字からだと女性のように思えるが、「ならよしとも」と読んで男(47才))である。
ちなみにペコちゃんは、1950年生まれだけど、永遠の6歳である。

不都合な真実(核廃棄物)

2007年04月03日 | 日記
使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す際に出る「高レベル放射性廃棄物」がまさに最終核廃棄物である。この問題で本県南部の海陽町に隣接している高知県東洋町(サーフィンのメッカとして売り出し中)で大騒動の元になっている。
そもそも、なぜ、このような処分場がいるかというとウランを原子炉で燃やすと「使用済み核燃料」が出てくる。
使用済み核燃料は、原子力発電所の近くの貯蔵プール中で保管しているが、稼働年数の長い発電所ではプールが満杯に近い。当然、そうなれば発電を止めなければならないので電力会社は困る。そのため、青森県の六ヶ所村に「再処理工場」を作り、そこにこれらの使用済み核燃料を持って行いくと、当然、電力会社の貯蔵プールは空くので発電を続けられる。
この核廃棄物の最終処分のことは、すべて「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」で決められている。そして、この放射性廃棄物の行き先(最終処分場)の候補地として東洋町が名乗りを挙げているのだ。
最終処分場の調査候補地として町長が独断によって応募したことも許せないが、財政が行き詰まっている町を金の力で釣るような国(経済産業省)のやり方はひどい。
現在、日本にはプルトニウムが国内に5~6トン、欧州に委託処理しているものが約40トンあるらしい。わずかキログラム単位のプルトニウムを北朝鮮が保有していることで、6カ国協議をやっているが、日本は約50トンのプルトニウムを保有。アメリカがいまだに日本の核武装を疑うのも少しは理解できる。
この六ヶ所村のホームページの中に”ウラン資源にも限りがありますが、石油、石炭などは燃えると二酸化炭素や灰になるのと違い、原子炉で燃やした使用済み燃料の中には、燃え残ったウランや新たに生じたプルトニウムがあり、これらを再び燃料として繰り返し利用することができます。 これが「原子燃料サイクル」です。”という説明がある。
しかし、高速増殖炉もんじゅの事故で露呈したように、この技術がいつ実用化なるのか分からないのに、その燃料としてプルトニウムが次々と生み出されている。実際、そのプルトニウムはどうするのか。そこで、プルトニウムとウランを混ぜ、いまある原子力発電所の燃料にしようというのがプルサーマル計画だ。しかし、この計画も頓挫している。
ところで、衆議院議員の河野太郎氏は、このように無用な核廃棄物を量産するために何兆円もの税を投入するのを止め、太陽光や風力、水力、バイオマスなどの「再生可能エネルギー」の研究開発につぎ込むべきだと主張している。また、これらの新エネルギーに対し、「コストが高い」などというキャンぺーンを張っているのは、電力会社や経産省、族議員が原子力発電の権益を守るために行っているのだと氏は言っている。
世界各国が開発をあきらめた「原子燃料サイクル」
日本はもっと再生可能エネルギーの開発に金と力をかけるべきなのに、いつ実用化なるか分からない高速増殖炉の燃料として、プルトニウムが量産されている。
ところで、我々は、原子力発電というと画期的なテクノロジーを想像するが、実際は、原子力発電といっても、原理は核分裂によるエネルギーで水を沸かし蒸気にし、蒸気の力でタービンを回して電気を作っているだけで、石炭や石油を燃料としている火力発電と違わない。

2007年04月01日 | 日記
今日の午前中は、天気が良いとの予報だったので、いつもの鳴門公園「室展望台」へ出掛けた。私が着いてからは、お目当てのタカが頭上を飛ぶといったことなもなく、昼前には数も飛ばなくなったので引き上げた。帰る途中の橋(小鳴門新橋)から見える桜がきれかったので、橋を渡った待避所へ車を駐め、橋の歩道から撮影。
写真左上のお寺は、
成田山徳島分院 光輪寺で昭和52年に大塚製薬の故大塚正士氏が誘致奉献した。

    
   右上に「鳴門カントリークラブ」のグリーンが見える。
   場所の位置関係については、上記光輪寺の紹介ページに載っている、