観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

コクガン

2013年12月13日 | 野鳥

沖合に黒い鳥が浮かんでいる。
35mm換算で760mm相当のレンズで撮影(トリミングなし)


消波ブロックでできた離岸堤にやって来た。(トリミングあり)


何か口を動かしているように思ったので、拡大してみたら海藻のようなものを食していた。
本来、コクガンの大好物は海苔の仲間でなく、アマモなどの海草らしい。
アマモは海の中に生えているが、胞子によって繁殖する海藻類ではなく、陸上の植物と同じ仲間で、雌雄同株の多年生の種子植物。
細長い葉(20~100cm)と地下茎からできていて、この地下茎を噛むとほのかに甘みがあることからアマモという名前がついたようだ。
アマモは、太陽光が届きやすい、波の穏やかな浅い砂泥底に多く生育し、砂の中に根を張り、光合成をする。群生し草原のようになった藻場は、
「アマモ場」と呼ばれている。
このアマモ場は、水の流れが穏やかで魚などが隠れる場所も多く、餌も豊富なため、稚魚や小魚たちの集まる海の生態系に重要な役割を担っている。
かっては、日本各地に生育していたが、埋め立てや海洋汚染などで、現在では急激に繁茂地の面積が減少している。
アマモは、また、汚れた海水を浄化する(窒素やリンを吸収)重要な役割も担っている海の大切な資源なので、各地で繁殖活動も行われているようだ。

体長約61cmのコクガンは、ツンドラ地帯で繁殖し、中国東北部や北日本との沿岸地方で主に越冬する。環境省カテゴリ: 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
(VU) とは何ぞやと意味を調べてみると、WWFジャパンのレッドリストについてに載っていた。

ところで、このコクガン私が見たときはずっと遠くにいたが、波打ち際までやって来たこともあるらしい。
このコクガンをじっくり見たのは20年以上も前のことだ。今回ももう少し近くで見たかった。

今日のコミミズク

2013年12月11日 | 野鳥
月曜日は徳島にも竜巻注意報が出ており、1日中家にいたが、火曜日はルリビタキを探しに行った。今期3度目の空振りだった。
今日は、ルリビタキが駄目ならタカをと出島に10時頃出掛けた。
観察舎に着くと先客6人もいた。よく飛んでるのか尋ねると今日は駄目らしい。
しかし、日曜日は、チュウヒ、オオタカ、ノスリによるバトル(組み合わせは3通り)も見られ、1日中楽しめたようだ。
私は、日曜日は町内会有志によるチャリティー餅つきに朝早くから参加していた。餅つきも楽しかったので、タカの異種格闘技は見られなかったけど
別に悔いはない。しかし、日曜日と今日が入れ替わっていたら良かったのにとは思った。
そんな事を思ってると、前方に松にノスリが止まった。


逆光でしかも遠い。(トリミング大)

このノスリを撮った写真を拡大して写り具合を確認しようと屈んでいると、誰かが飛んだと言った。しかし、ノスリの飛行にすぐには反応出来ない。
ようやく目的物を見つけたと思ったら、飛び方が違う。どうやらノスリではないようだ。


コミミズクだった。(トリミング大)




上記2枚もトリミングは相当大。

チュウヒが飛び立ったのに反応して、葦原の中にいたコミミズクが飛び出したのだろうか。
逆光でなければ、もう少し綺麗に撮れていたのに。

錦秋 天授庵その2

2013年12月10日 | 旅・風景・グルメ

書院


池泉回遊式庭園の書院南庭




この南庭は、明治時代に改修しているものの南北朝時代の面影を残していると言われている。

錦秋 天授庵その1

2013年12月09日 | 旅・風景・グルメ
天授庵は、南禅寺を開山した大明国師を奉祀する塔所。
(塔所とは一般に遺骨なを納め祀る場所(墓所)を指すが、墓所だけでなく高僧が住んでいた小庵やゆかりのある地に、その偉業を後世に伝える
ために建立されるようになる。)
南禅寺の起源は、1264年に亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。当時の東福寺第三世大明国師に帰依していた天皇が法皇となり、
1291年、離宮を禅寺に改め、大明国師を奉じて竜安山禅林禅寺として開山。離宮を賜り禅寺とされた大明国師は、すでに老境にあったので、禅寺
としての体裁を整える前、同年12月に生涯を終えた。このため大明国師の開山についての功績は少なく、塔所は建てられなかった。
その後、1339年に南禅寺第十五世が光厳上皇へ請願、勅許を得て翌年に天授庵が建立された。戦国時代には衰退したが、1602年に武将で歌人
としても知られる細川幽斎により再興された。


庫裏から覗く書院南庭
今回旅行で一番の撮影スポット。しかし、押すな押すなの人混みで、撮影に時間をかけられず、シャッターを2回切っただけ。

上記の写真、ここをクリックして拡大すると、せっかくの光景を台無しにしている人の頭がよく分かる。残念!


同じく庫裏から覗いた書院南庭


小堀遠州の発案と言われる枯山水の方丈前庭(本堂前庭)本堂は、六間取方丈形式の建物


後ろに見える山門は、南禅寺三門




錦秋 法然院

2013年12月08日 | 旅・風景・グルメ
銀閣寺拝観の後、哲学の道を歩いて法然院に行った。
浄土宗の始祖、法然上人は、歴史で習ったから知っていたが、寺の法然院は知らなかった。法然院の公式HPによると“正式名は、「善気山 法然院 萬無教寺」
鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。
1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が
生じ、安楽・住蓮は死罪となり、法然上人は讃岐国へ流罪、その後草庵は久しく荒廃することとなった。”と書かれていた。
この話に裏はないのか検索すると
勢力を強めていた吉水(* 東山吉水(京都市東山区円山町)の法然門下に対し、危機感をもった他宗派は、興福寺を代表として朝廷に対し吉水教団の
撲滅を願い出た。そのため御所では念仏停止の是非を論ずる評議が行わていた。ちょうどその時に後鳥羽上皇が寵愛していた女房松虫・鈴虫の二人の
出家という事態に起きたのだ。それに上皇が激怒し、当時としては、珍しい死罪になったようだ。また、興福寺の訴えを取り上げ、念仏停止の裁断を下した。

この後鳥羽上皇、歴史上の人物としては嫌いなほうである。上皇は、天皇に即位していた期間は、14年余りだが土御門天皇、順徳天皇、仲恭天皇と3代
23年に渡り院政を敷いた人物。鎌倉幕府を倒そうと承久の乱を企てて捕らえられ、隠岐に島流しされ、そこで没したという事は覚えているが、この話は知らなかった。





白砂壇(びゃくさだん)
山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているらしい。
拝観客は多いが、この白砂壇はあまり人気がないようだ。




錦秋 銀閣寺その4

2013年12月05日 | 旅・風景・グルメ

侘び、寂びを体感できる東山文化の代表的な建築物である銀閣寺、人里離れた場所に建ってるのでなく、街中近くにあるということがよく分かる。






国宝 慈照寺観音殿(通称:銀閣) 東山文化の代表的建物
1層は書院造り、2層は唐様仏殿
この写真を見ると光の当たり具合で銀色に見えるから銀閣寺と呼ばれるようになったと言う説も納得できる。

昨日のカワセミ

2013年12月04日 | 野鳥
昨日、Iさんが観察舎の中で、最近目の前の杭にカワセミが止まらなくなったと、嘆きながら外へ出て行った。
それから5分もしないうちに、ツィーという高い声が聞こえてきた。音は近い。まさかと思いながら杭を見ると、紛れもなくカワセミの雌が止まっていた。


私と一緒に居たMさんがIさんを探しにいってるうちに飛んで行った。

(2枚ともトリミングあり)

ハイタカ、オオジュリンを狩る

2013年12月02日 | 野鳥

760mm相当のレンズで捉えたハイタカ(トリミングなし。)


上の写真をトリミングした写真 実際の大きさは、キジバト大
この止まり木、いかにもという格好をしているが、自然のままである。


止まり木の前のオオジュリン(体長16cm)をあっという間に狩った。(かなりトリミング)
その瞬間はカメラに捉えることは出来なかった。この写真は、捕獲の少し後だ。

オオタカの飛び立ち

2013年12月01日 | 野鳥

目の前の柳の木にいるのは、オオタカの成鳥のようだ。オオタカの体長は、雄が約47~52.5㎝ 、雌が約53.5㎝~59㎝。雄は、ハシボソガラス大で
雌は、ハシブトガラス大。雌の方がずっと大きい。この個体は、大きいので雌のようだ。
しかし、見てる場所からは、120m位離れているらしい。拡大すると

少し動きが出てきた。


斜めに傾いた。


木を蹴り出す寸前


飛んだ。