名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

羯帝羯帝波羅羯帝

2013-01-28 | 宗教
時間とは 生命の別名であると思う
もし、時間の流れが止まったら
「 自分が生きている 」
という事実が無くなる

生きているから年を取り
生きているからいつかは死ぬ
年を取らない人間がもしいたとしたら
その人にとっては 「 時間の流れ 」 がない

その人は即ち 生きていない ということになる

科学もこれから さらに大きな飛躍を遂げる日が来るだろう
量子力学 が究極の世界を解明するだろう

物理学は 行き着くところ 

「 時間は無い 」


ということを立証すだろう

時間は無い とは

今も、過去も、未来も 無い
という意味

時間という概念が虚像だとしたら
自分の生命 も虚像と言う事になってしまう

人間の生命は 幻 (まぼろし) なのか?

いや、そんなはずは断じてあり得ない

般若心経は  空 (くう) を説いている
一切の事物は 空  であり 何も無い 
という事を数々の視点から
凝縮された言葉で語っている

そのあと、最後に 意味不明の
呪文のような言葉が出てきて
最後を締めくくる


ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝

 
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝



これは、 「 あの世 」の言葉を
強い霊感の持ち主が聞き取って 文字にしたのだろうと思う

経典の訳としては

羯帝羯帝波羅羯帝  (往き往きて、彼岸に往き、)

波羅僧羯帝  (完全に彼岸に到達した者)

であるが

この言葉には、言葉に表す事のできない
霊力 が込められていると思う


私は この一節を勝手に こう解釈している


「  生きろ!!!  止まるな! 動け! 進め!

 歩くな!!  走れ!!  」 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


「 生命 」とはなにか?

私が思うに

「 生命 」 とは 

 考え、そして動く事 

 自分以外の人のために 動くこと 


これが 生命 ではないだろうか

心臓が動いている事が 生命ではない


ならば

身体が不自由で人に介護されなければ生きてゆけないない人は
どうなる・・・

知能に障害があり、自分以外のひとのために動く事ができない人は
どうなる・・・・

そういう人は 生きている意味がないのか?


そんなハズは断じてない


健常者と同じ 生命の価値 がある

なぜか?

障害者が生きて行くには誰かがその手助けをしなければならない

その 手助けした人 は
「 あの世 」 見たら
得をした人 である

自分以外の人のために 考え動く機会を多く与えられた
特別な人間である

介護された人は 介護してくれた人に
生命を活かす 機会をより多く与えたことになる


「 この世 」の尺度でこの状態を見るなら

その両者の関係は不均衡である

介護される者は、一方的に与えられるだけで
自分以外の人に 与えたり 恩を返したりできない

でも、

「 あの世 」からみれば
不均衡ではない

介護されるひとは、そのことで誰かに「 生命を活かす場 」
を与えている

それだけで、両者は釣り合いが取れる


羯帝羯帝波羅羯帝  (往き往きて、彼岸に往き、)

波羅僧羯帝  (完全に彼岸に到達した者)

菩提   僧莎訶   (悟りそのものである)

般若心経  (知恵の完成についてのもっとも肝要経典)

  
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