時間とは 生命の別名であると思う
もし、時間の流れが止まったら
「 自分が生きている 」
という事実が無くなる
生きているから年を取り
生きているからいつかは死ぬ
年を取らない人間がもしいたとしたら
その人にとっては 「 時間の流れ 」 がない
その人は即ち 生きていない ということになる
科学もこれから さらに大きな飛躍を遂げる日が来るだろう
量子力学 が究極の世界を解明するだろう
物理学は 行き着くところ
「 時間は無い 」
ということを立証すだろう
時間は無い とは
今も、過去も、未来も 無い
という意味
時間という概念が虚像だとしたら
自分の生命 も虚像と言う事になってしまう
人間の生命は 幻 (まぼろし) なのか?
いや、そんなはずは断じてあり得ない
般若心経は 空 (くう) を説いている
一切の事物は 空 であり 何も無い
という事を数々の視点から
凝縮された言葉で語っている
そのあと、最後に 意味不明の
呪文のような言葉が出てきて
最後を締めくくる
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
これは、 「 あの世 」の言葉を
強い霊感の持ち主が聞き取って 文字にしたのだろうと思う
経典の訳としては
羯帝羯帝波羅羯帝 (往き往きて、彼岸に往き、)
波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者)
であるが
この言葉には、言葉に表す事のできない
霊力 が込められていると思う
私は この一節を勝手に こう解釈している
「 生きろ!!! 止まるな! 動け! 進め!
歩くな!! 走れ!! 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 生命 」とはなにか?
私が思うに
「 生命 」 とは
考え、そして動く事
自分以外の人のために 動くこと
これが 生命 ではないだろうか
心臓が動いている事が 生命ではない
ならば
身体が不自由で人に介護されなければ生きてゆけないない人は
どうなる・・・
知能に障害があり、自分以外のひとのために動く事ができない人は
どうなる・・・・
そういう人は 生きている意味がないのか?
そんなハズは断じてない
健常者と同じ 生命の価値 がある
なぜか?
障害者が生きて行くには誰かがその手助けをしなければならない
その 手助けした人 は
「 あの世 」 見たら
得をした人 である
自分以外の人のために 考え動く機会を多く与えられた
特別な人間である
介護された人は 介護してくれた人に
生命を活かす 機会をより多く与えたことになる
「 この世 」の尺度でこの状態を見るなら
その両者の関係は不均衡である
介護される者は、一方的に与えられるだけで
自分以外の人に 与えたり 恩を返したりできない
でも、
「 あの世 」からみれば
不均衡ではない
介護されるひとは、そのことで誰かに「 生命を活かす場 」
を与えている
それだけで、両者は釣り合いが取れる
羯帝羯帝波羅羯帝 (往き往きて、彼岸に往き、)
波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者)
菩提 僧莎訶 (悟りそのものである)
般若心経 (知恵の完成についてのもっとも肝要経典)
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もし、時間の流れが止まったら
「 自分が生きている 」
という事実が無くなる
生きているから年を取り
生きているからいつかは死ぬ
年を取らない人間がもしいたとしたら
その人にとっては 「 時間の流れ 」 がない
その人は即ち 生きていない ということになる
科学もこれから さらに大きな飛躍を遂げる日が来るだろう
量子力学 が究極の世界を解明するだろう
物理学は 行き着くところ
「 時間は無い 」
ということを立証すだろう
時間は無い とは
今も、過去も、未来も 無い
という意味
時間という概念が虚像だとしたら
自分の生命 も虚像と言う事になってしまう
人間の生命は 幻 (まぼろし) なのか?
いや、そんなはずは断じてあり得ない
般若心経は 空 (くう) を説いている
一切の事物は 空 であり 何も無い
という事を数々の視点から
凝縮された言葉で語っている
そのあと、最後に 意味不明の
呪文のような言葉が出てきて
最後を締めくくる
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
これは、 「 あの世 」の言葉を
強い霊感の持ち主が聞き取って 文字にしたのだろうと思う
経典の訳としては
羯帝羯帝波羅羯帝 (往き往きて、彼岸に往き、)
波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者)
であるが
この言葉には、言葉に表す事のできない
霊力 が込められていると思う
私は この一節を勝手に こう解釈している
「 生きろ!!! 止まるな! 動け! 進め!
歩くな!! 走れ!! 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 生命 」とはなにか?
私が思うに
「 生命 」 とは
考え、そして動く事
自分以外の人のために 動くこと
これが 生命 ではないだろうか
心臓が動いている事が 生命ではない
ならば
身体が不自由で人に介護されなければ生きてゆけないない人は
どうなる・・・
知能に障害があり、自分以外のひとのために動く事ができない人は
どうなる・・・・
そういう人は 生きている意味がないのか?
そんなハズは断じてない
健常者と同じ 生命の価値 がある
なぜか?
障害者が生きて行くには誰かがその手助けをしなければならない
その 手助けした人 は
「 あの世 」 見たら
得をした人 である
自分以外の人のために 考え動く機会を多く与えられた
特別な人間である
介護された人は 介護してくれた人に
生命を活かす 機会をより多く与えたことになる
「 この世 」の尺度でこの状態を見るなら
その両者の関係は不均衡である
介護される者は、一方的に与えられるだけで
自分以外の人に 与えたり 恩を返したりできない
でも、
「 あの世 」からみれば
不均衡ではない
介護されるひとは、そのことで誰かに「 生命を活かす場 」
を与えている
それだけで、両者は釣り合いが取れる
羯帝羯帝波羅羯帝 (往き往きて、彼岸に往き、)
波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者)
菩提 僧莎訶 (悟りそのものである)
般若心経 (知恵の完成についてのもっとも肝要経典)
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