名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

「神仏を信じる」 落とし穴

2016-05-11 | 宗教

私は自称・宗教家です。
宗教家というからには、神仏を信じています。

他者に対する言語として、
「 神仏を信じます 」
という言葉を使うことはありますが、

これを自分に言い聞かせているようでは、
まだまだ生半可であると感じます。

「 太陽は明るい 」
「 炎は熱い 」
「 氷は冷たい 」

当然の事です。
別に「 信じる 」必用などありません。

「 太陽は明るい事を信じます 」
「 炎は熱いという事を信じます 」
「 氷は冷たいと信じます 」

もし、こんな事をいう人がいたら、その人は、
太陽も、火も、氷も・・見た事も体感したこと
もない人でしょう。

これ即ち、腹の底では信じていないのに、
「 信じるべきだ 」
と自分に対して言い聞かせている事になる。

太陽を見た事がない人が
もしいたとするなら、その人は、
「 私は太陽を信じます 」
という言葉を使うことが適切です。

「 私は神を信じる 」 
捻くれた見方をすれば、これは、ある意味、

** 権威意識。
** 未知に対する依存
** 自分自身が、‘見ること‘‘知ること‘
が出来ないモノに対する、恐怖心の裏返し。



真の宗教の目指すものは、
「 信じる 」ことでは無く。

「 自分の内に宿る永遠の生命 」
を‘ 実感‘することではないだろうか?

永遠の生命 
こそが、神の分霊であり、仏の化身である。

神そのもの、仏そのもの、とも言える・・・

「 信じる 」を超越した人こそが、
真の宗教家であると思う。

ウサギ講の目指すものは、
「 神仏を信じる 」という言葉を忘れることです。

皮肉なことに・・・

宗教団体は、 
「 神仏を信じる‘ 偉い先生 ‘ 」
を多く排出する。


コメント
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