花火で思い出すのは山下 清の貼り絵。
昭和25年の作とされ、作品名は長岡の花火となっている
下の写真は絵ハガキです
本物の絵にはお目にかかったことはないが、見物客の細かさなどは見ているだけで気が遠くなりそうだ。
私みたいな凡人には冗談だろう!とさえ思える
私の名前も同じ清、少々パープリンな所はそっくりだが、天才的な才能もなく、ごく平凡に生きているだけ
庭に咲いたダリアを接写してみたら花火にも見える。
各地で開催される夏の風物詩である花火大会も、不景気のあおりを食らって企業の協賛が激減、前橋市でも個人などをターゲットとしたメニューもお目見えした。
伊勢崎市や太田市は今年は中止と伝えられた。
子供の頃は親に連れられ、河川敷に設けられた見物席に陣取ったこともあるが、蚊に思いっきり食われるので二度と行きたくなかった。
それだけではない、仕掛け花火は前の方にいる人がみんな立ってしまうので後ろの人が怒って、石コロや下駄(げた)をぶん投げる。
こんな花火だってあったかも知れない
だが、あまり楽しかった記憶はない
きわめつけは、帰りに寄った食堂での出来事、なにしろ田舎者なので食堂に行ったって支那そば(しなそば)、今で言うラーメンとカツ丼ぐらいしか知らない。
当時は食堂も少なかったので、押すな押すなの大盛況で親が頼んでくれたのは焼きそば、これが間違いの元だった。
運ばれて来たのがかた焼きそばだったため、外へ出てから父親いわく、忙しいもんだから生のまんま出しやがって・・・
竹ぼうきみてえなもんが食えるか
かた焼きそばを知らなかったためだが、子供だった私も心の中ではそうだそうだと怒っていた。
ハガキ1枚だけの写真じゃあ寂しいので、増やしに無理やり花火にこじつけた説明をつけて2枚の写真を追加、姑息(こそく)な手段を使ってしまった。
中央マンドリン楽団のページへリンクします。
群馬中央ギター学院のページへリンクします。
ぐんま自分史の会のページへリンクします。
昭和25年の作とされ、作品名は長岡の花火となっている
下の写真は絵ハガキです
本物の絵にはお目にかかったことはないが、見物客の細かさなどは見ているだけで気が遠くなりそうだ。
私みたいな凡人には冗談だろう!とさえ思える
私の名前も同じ清、少々パープリンな所はそっくりだが、天才的な才能もなく、ごく平凡に生きているだけ
庭に咲いたダリアを接写してみたら花火にも見える。
各地で開催される夏の風物詩である花火大会も、不景気のあおりを食らって企業の協賛が激減、前橋市でも個人などをターゲットとしたメニューもお目見えした。
伊勢崎市や太田市は今年は中止と伝えられた。
子供の頃は親に連れられ、河川敷に設けられた見物席に陣取ったこともあるが、蚊に思いっきり食われるので二度と行きたくなかった。
それだけではない、仕掛け花火は前の方にいる人がみんな立ってしまうので後ろの人が怒って、石コロや下駄(げた)をぶん投げる。
こんな花火だってあったかも知れない
だが、あまり楽しかった記憶はない
きわめつけは、帰りに寄った食堂での出来事、なにしろ田舎者なので食堂に行ったって支那そば(しなそば)、今で言うラーメンとカツ丼ぐらいしか知らない。
当時は食堂も少なかったので、押すな押すなの大盛況で親が頼んでくれたのは焼きそば、これが間違いの元だった。
運ばれて来たのがかた焼きそばだったため、外へ出てから父親いわく、忙しいもんだから生のまんま出しやがって・・・
竹ぼうきみてえなもんが食えるか
かた焼きそばを知らなかったためだが、子供だった私も心の中ではそうだそうだと怒っていた。
ハガキ1枚だけの写真じゃあ寂しいので、増やしに無理やり花火にこじつけた説明をつけて2枚の写真を追加、姑息(こそく)な手段を使ってしまった。
中央マンドリン楽団のページへリンクします。
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