庄内地方でも、過去に地震に伴う大津波があって、鶴岡市の堅苔沢の辺りには、その石碑も残されていると聞いている。随分と高い位置だそうだ。
今朝3月24日の山形新聞の記事に、山形大学山野井名誉教授の論文の一部が載っていた。平安時代に庄内地方が大津波に襲われたとする、地質学からの分析だった。庄内南部では推定37.9mの津波があったのではと話している。
平安時代と言えば、酒田の本楯地区に、出和国国府跡の城輪柵(きのわのき/きのわのさく)がある。NHKの放送では、地層の一部に泥の跡があるのと、地震で倒れたのでは無いかとされる柱の跡があったそうだ。
勿論、その頃私は生まれた訳では無いが、海がもっと内陸に近かったのではと聞いた事がある。秋田象潟の海に浮かぶ松島のようだった地形が隆起して現在の形になったことを思うと、37.9mと言うのはもう少し差し引きしても良いのかなとも思うが、津波に関しては注意と予防を怠ることなかれと考える。
平安時代に起きた巨大津波の跡山形か 庄内砂丘 NHKの映像
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