無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

建築士会全国大会 鹿児島 2

2024-11-11 13:58:18 | 
知覧特攻平和会館へ行く。
私がどうしても行きたいと希望していた場所だ。



最初に我々を迎えてくれたのは、陸軍1式戦闘機「隼」だった。
雨に濡れた日の丸が目を引いた。


「隼」は、私の父も乗っていた。


対面に飾られていたのは、初等練習機「T-3」である。
「T-3」? 大東和戦争時、敵国語であるアルファベットは使わないはずだがと、ネットで検索すると、昭和50年に航空自衛隊の練習機T-34の後続機として使用された物だった。


ちなみに、日本軍には海軍と陸軍はあっても、空軍はない。
昭和の自衛隊の練習機を、何故ここに飾るのかは、解せない。
飛行機であれば、何でも良いものではなかろうに。
意図的に飾られるとしたら問題はあるだろう。




平和会館のホールに入る。内部は殆どが撮影禁止の施設だった。


撮影不可の内部には、特攻に向かう兵士が家族に当てた手紙、残った写真、家族からの手紙などが飾られている。
他には、戦闘に加わった各種の飛行機も飾られている。
時間がたっぷりあれば、事細かに見ることは出来るのだが、内部の広さには勝てなかった。



子供達が群がっている所には、戦闘機の残骸があった。
海底に沈んでいた零式戦闘機を引き上げたが、後部は残っておらず、主翼までの残骸でしかない。


ここは撮影が可だったので、撮してみた。


この機体の状態を見ると、如何に機体の重量を軽くしようとしたのが判る。
海底に沈んでいたからの状況は考慮するも、機体の鉄板の薄さには驚いた。
まるで薄っぺらな紙並みなのである。風圧で鉄板が飛ばないように下地に打ち付けてある鋲の本数にも驚いた。
こんな装備で飛んでいたのか。零戦は攻撃には強いが、防御はからっきしだと言われていた。その通りだと思った。
飛行兵を守らない戦闘機だと、言われる所以をまざまざと見せつけられた。


この知覧特攻平和会館と似た施設で、靖国神社の境内にある遊就館がある。
遊就館には、神社の中だからか、同じ内容でも清々しさがあった。
しかし、知覧は特攻に特化した施設なので、まったく別の雰囲気が漂っていた。



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