はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

映画評1020 ~ アーヤと魔女

2021-08-28 | 映画評
今日は「アーヤと魔女」を見ました。

イギリスの作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説を原作にしたスタジオジブリの3DCGアニメ。身寄りのない少女アーヤが、魔法を教えてもらうことを条件に魔女の助手になる。監督は『コクリコ坂から』などの宮崎吾朗。アーヤのボイスキャストを平澤宏々路、魔女を寺島しのぶ、同居人を豊川悦司、使い魔の黒猫を濱田岳が担当する。企画は同じジョーンズ原作の映画『ハウルの動く城』などの宮崎駿。


<ストーリー>
思いのままにできる子供の家で生活していた身寄りのない少女アーヤ。ある日、ベラ・ヤーガという青髪の女とマンドレークという名の怪しい雰囲気の長身男が現れ、アーヤは彼らの家に引き取られる。家に迎えたのは魔女である自分の助手にしたかったからと語るベラ・ヤーガに対し、アーヤは魔法を教えてもらうことを条件に助手として働き始めるが、一向に魔法を教えてもらえず怒りを覚える。そんな中、彼女は魔法の秘密を知る黒猫トーマスと出会う。


スタジオジブリの最新作である。

ということで期待していたわけ・・・では、もちろんない!

予告編を見る限りでは、どんなお話なのかわからず、少なくとも「面白そう!」とは思わなかった。

いざ見てみると、3DCGの出来栄えは結構よくて、なかなか綺麗な画になっていた。

そして、結論はと言うと・・・

唖然とした!

この一言である。

まず、冒頭のやり取りでかなりやられた。

カッコいいお姉さんがバイクで疾走しているシーンが出てきて、「なかなかいいじゃん」という出だしだったのだけど、主人公である赤ちゃん(アーヤ)を孤児院の前に置いていくときの、このお姉さんのセリフ回しが壊滅的だった。

どんなド素人かと思って、後で調べてみたら、この映画の主題歌を歌っているシンガーソングライターのシェリナ・ムナフという女性だった。

さすがはジブリ、というのか、どうしてこんな素人以下の人を声優として起用するのかよくわからない。

そして、次のシーンでの、孤児院の院長と事務員の女性とのやり取りが意味不明だった。

カッコいいお姉さんが残した置手紙には「12人の魔女から守るため・・・」みたいなことが書いてあったのだが、それを見ての会話だ。

事務員「あら、12人の魔女に追われているみたいだけど、この子も魔女なのかしら」
院長「バカなことを言うもんじゃありません。この世に魔女なんていません」

この時点で、すでにわけがわからなくなる。

魔女というのは、ホントに実在するのか、それとも単なる比喩なのか。

事務員の言葉は、魔女が実在していて見たことがある、という前提での言い方だが、院長は「そんなものは、ただのおとぎ話だ」という前提での話になる。

所詮はアニメだから、どういう設定でもいいのだけど、こんな会話は成立しないと思うのだけど、どうなんだろうか。

少なくとも、私はここで引っかかった。

そして、その後いきなり成長したアーヤが描かれるのだけど、これがまた何とも小生意気というか、影響力のある大人には媚びを売るが、それ以外には常に「上から目線」の態度を取るという、まったく感情移入のできないクソガキだったので驚いた。

こんな子が主人公でいいのか、と思えるほど、とにかく可愛げがないので、その後マンドレークたちに引き取られ、こき使われた挙句に、常にベラからガミガミ言われるのだけど、どうでもいい感じで見ていた。

描き方はそんなに悪くないのに、とにかく主人公に肩入れできないので、とにかくぼ~っと見ているだけだった。

そして、いよいよアーヤが魔法を覚えるようになって、さてこれからどうなる、と思っていたら・・・・

いきなり、アーヤがマンドレークやベラを自在に操る(?)ようになる。

ホント、いきなりである。

アーヤがどうやって魔法を覚えたのかのかもよくわからないのに、その後の肝心なやり取りだと思われる部分の描写がまったくない。

だから、ここの場面は見ていて奇異に映るというか、とにかく唖然としたと言う以外に表現のしようがない。

何でこんな描き方をしたのか、まったく理解できない。

しかも、それで終わりかと思いきや、続いての場面で、孤児院で仲の良かった男の子が遊びに来ることになり、当日になってその男の子が正体不明の大人と一緒に現れるのだけど・・・

その大人とは、アーヤのお母さん(カッコいいお姉さん)だった!

さて、どうなる?と思っていたら、いきなり映画が終わった。

はあ?という感じだった。

だいたい、この時点で、アーヤが現れた女性がお母さんだとはわからない(孤児院に置いていかれた時は、まだ赤ちゃんだったし)し、そもそもマンドレークもベラもアーヤがその女性(実は昔のバンド仲間)の子供だとは知らない。

ここで終わるにしても、後日談みたいなものをちょっと描いてもいいと思うのだけど、何にもなく、いきなり終わった。

実は、エンドルーロ時にバックに手書きのコンテが出てくるのだけど、そこに描かれていたのは、アーヤがマンドレークやベルと仲良く過ごしている姿が描かれていた。

本来であれば、この部分をもう少し詳しく描けば、もっと面白くなったと思うのだけど、監督の宮崎悟朗はいったいどういうつもりでこんな映画にしたのだろう。

トータルで80分ほどという短い映画だったのだけど、あと20分くらい延びたところで、まったく問題はないと思う。

肝心な部分をまったく描かず、逆にアーヤの可愛げのない部分しか描いていない。

ネットでの評価がかなり悪かったので、画は綺麗なのにどうしたんだろう、と思っていたけど、これはヒドいわ。

はっきり言って、ムチャクチャだとしか言いようがない。

ということで、年末にもう一度振り返ってみたいので、評価は「D」にします。


それにしても、監督の宮崎悟朗。

「コクリコ坂にて」はまだいいとして、「ゲド戦記」も何が描きたかったのかよくわからなかったし、ちょっとセンスがなさすぎじゃないの?

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